Tama’s ゴスペラー日記

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zoom RSS 蒔かれたゴスペルの種は

<<   作成日時 : 2010/10/25 00:11   >>

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 一つ前のブログでゴスペルを歌う人たちからその場を奪わないように、と書きました。
 それは私がゴスペルミニストリーに携わらせていただいた僅か8年の経験からの主張に過ぎないのですが、今日の午後、教会のすべての集会が終わってからICGCに所属する教会のメンバーとちょっとした意見交換をしたんですね。声を掛けてみると、用事があって来れなかった2名を除き7人
 この私以外の6人は、ICGCの門を叩いた事がきっかけで信仰を持った、または中央福音教会のゴスペルミニストリーに参加した事から教会のメンバーになった6人でした。
 私は自ら声を掛けていながら、その作業中に感動で胸が一杯になってしまったんですよね

 8年前に始めた時は当然ゼロでした。
 始めて2年は受洗者(洗礼を受けた人)皆無。牧師の背後の祈りと伝道師の関口先生に支えられていたことはとても大きな力でしたが、他にゴスペルの働きを理解してくれる人はなく、私自身が動き、ネットワークを作りつつ時には内部の冷ややかな目と戦いながらのミニストリーでした。

 「ゴスペルクワイヤーなんてやってて意味あるのか?」

 「メンバーは一向に礼拝に来ないじゃないか。」
 

 なんていう声が風に乗って聞こえてきたりするのです。でもこれは主が始められたミニストリーだから、決して無に終わることはないという確信が私の中にあったんです。これを信仰と言うのでしょうか。
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。       (ヘブル人への手紙11:1)

 あきらめや投げやりな気持が起こらなかったのは、新しい人が常にやって来ることも大きかったですね。リハーサルではゴスペルを賛美するだけじゃなく、関口先生に必ずショートメッセージを語っていただき、祈る時間も必ず持ちましたから、信仰を持って続けていればいつか必ず主がその御手を動かされる、と信じていました。

 そしてとうとうその時が訪れました。
 2005年の4月にMOGUと私の娘・百合香がゴスペルミニストリーの初穂として洗礼を受けたのです。
 この救いのストーリーはMOGUが先週の第2礼拝で語ってくれましたので、お時間の許す方はぜひご覧ください。Part4まであるので、Part1だけプレビュー画面を貼り、あとはURLを紹介させていただきますね。



Part2 http://www.youtube.com/watch?v=Cd33lrRjGjY&feature=related

Part3 http://www.youtube.com/watch?v=Ul96KNbsXos&feature=related

Part4 http://www.youtube.com/watch?v=PtBE8YIfsCA&feature=related

 それ以降ゴスペルミニストリーから毎年救われる人が起こされ、中央福音教会に加えられたのが9名、他教会に加えられたのが5名。
 これはあくまでもはっきり把握出来ている人たちで、メンバーシップではない池ゴスや、

画像


 過去4回主催して実施したNYゴスペルツアー

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 を加えたら、それが契機となって救われた人はもっといると思います。そして信仰告白をすでにして、洗礼のタイミングを祈りつつ待っている人もいます。
 
 私たちは教会の組織拡大をするためにミニストリーをしているんじゃあリません。だからJESUSを救い主として信じ、しっかり聖書信仰に立つ正しい教会につながるなら、それは皆「キリストのからだ」ですから喜びなのです
 だっての「キリストのからだ」一部になるなんて、めちゃくちゃすごいことですよ 神の資産を受け継ぐ者とされることですからね。

 その結果中央福音教会のゴスペルミニストリーは、私や美和ちゃんを始めとする教会員が責任を負い奉仕をしてはいますが、多くの教会のクリスチャンがスタッフ&メンバーとして関わり、彼らの教会にも良い影響を与えていますし、また逆に彼らの所属する教会から良い刺激を受けることもあり、今やひとつの教会・教派では成し得なかった救霊の働きを担わせていただいていると思っています。

 最初は何もなかったんです。

 誰もいなかったんです。


 でもはっきり言って、私は頑張ってません。ただ信仰による確信だけはありました。だから主が備えてくださった畑に種蒔きをし、その管理だけは誰が何を言おうと放り出さなかった。これはきっと「ごちゃごちゃとウザいことを気にしたくない」という大雑把な性格を主が与えてくれたからなんだなぁ。
 それだけなんですね。

 救霊の御業は神がなさることで、私はその下働き。その手足。驕ることなく、誇ることなく。
 兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
 それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無に等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。
 あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
 それは、「誇る者は主に誇れ」と書いてあるとおりである。
        (コリント人への第1の手紙1:26〜31)

 全国でゴスペルミニストリーをされている皆さん。決してあきらめず、主に信頼し、共に励ましあいつつ喜びを持って働いてまいりましょう

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