妖怪アンテナ・・・じゃなくて霊的アンテナ

 今日もMAJ2008で感じたことのお話です。
 子供の頃大好きだったアニメの「ゲゲゲの鬼太郎」。ご存知の人も多いかと思いますが、妖怪の気配を感じると髪の毛がピンと立つっていう鬼太郎の能力の一つに「妖怪アンテナ」がありますよね。
 もちろん現実の世界に妖怪はいないし、そんな能力はあるわけないんですけど。

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 今回のMAJ2008では、あくまでも例えていうと鬼太郎の妖怪アンテナのような能力が磨かれた姉妹がいてね。私自身も同じように感じることが多々あって、びっくりしました。
 彼女は、自分を捨てて全身全霊でささげられている賛美に対し敏感に反応して、自然に涙が流れ礼拝モードになる反面、自分の楽しみや自分を誇示する要素が少しでも混じった賛美を聞くと気持悪くなり嘔吐してしまうのです。しかもこの反応に技術的な上手い下手は全く関係ない。
 まさに神様を礼拝しているかそうじゃないかを感じ取ってしまう能力という感じでしょうか。彼女には高慢な所は一切なく、信仰が深められていくうちに不純な所がどんどん清められていき、ピュアに神様の霊(聖霊)の働きをキャッチする能力が研ぎ澄まされたのだと思います。

 これこそ 霊的アンテナ と言っていいんじゃないでしょうか。

 日本人がゴスペルを始めるきっかけは、「カッコいいから」とか、「とにかく楽しいから」とか、「ストレス発散したいから」という理由が圧倒的に多い。
 誤解しないで欲しいんですが、こういった動機を通して、日本という異教で多神教の国に対して、唯一真の神様がアプローチをしてくださっているのは間違いありません。だから入り口としてはこれで全然構わないのです。

 問題なのは、ゴスペルクワイヤーのリーダー・ディレクターがこのままの状態をキープするだけで満足することだと思うのです。何を隠そう私自身がそうでした。
 詩篇の150篇6節、詩篇の一番最後の節ですね。ここに

息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。

 とあるから、クリスチャンであろうがなかろうが神様を賛美する必要がある。だからクリスチャンじゃない人がたくさん集められゴスペルを歌うゴスペルクワイヤーは素晴らしい
 それで終わりだったんですよ。極端に言えば。

 しかし神様は私たち人間を愛してやまないが故に、神であるイエス・キリストを人間として地上に降ろされ、全ての人の罪の身代わりのいけにえとして十字架につけられた。
 さらに3日目に肉体を伴う復活をされて、死に勝利された。だから、イエス・キリストこそ私の救い主だと信じ告白した時に、古い罪にまみれた自分が死んで、赦されて、新しい勝利の人生と永遠の命が約束される・・・


 この喜びを知った賛美は、まず第一に神様を喜ばせ、自己実現の賛美の何百倍もの感動と興奮を体験することになります。たとえばMAJ2008のメインゲストでもあったCalvin Rhone師がナイトリーで賛美した賛美歌 Great is Thy Faithfulness.
 それは彼の等身大の信仰告白でした。語るように静かに歌いだし、フェイクも自在にくりかえして、それは完全に神様と彼との会話。そこには会衆に何かアピールしようとか、盛り上げようとかそんな意図は一切感じられません。しかし教会中が彼の賛美に巻き込まれて、いつしか自分も神様の御腕に抱かれていることを体感するのです。

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                 (カルビン師の招きに応じた参加者たち!)

 こういう時に理屈ではなく神様を感じて、今まで作っていた心の壁が知らず知らずのうちに崩壊。魂の救いの瞬間が訪れます。
 今回のカンファレンス中、何年もゴスペルを歌ってきて色々なクワイヤーに顔を出してゴスペルの素晴らしさを色々な人に伝え、あの人はてっきりクリスチャンかと思ったら実はクリスチャンじゃなかった・・・ というゴス友が救いの招きに応じて何人か前に出ました 
 彼女たちは、今までゴスペルの一番オイシイところを知らないで「ゴスペルって楽しいよ!感動するよ!」って喜んで告知していたけれど、これでそんなもんじゃないもっと大きな喜びを知ることが出来たんですね

 リーダー・ディレクターはこの喜びをメンバーに伝える重大な責任と義務を負っている

 例えば、大事な人を評判の5つ星レストランに招待してフルコースのディナー。名店だけあって前菜だけでもすごくおいしい。でもメインディッシュが出てくる前に帰ってしまったらどうですか
 そんなにもったいないことないじゃないですか

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                (アントワン・ティモンズの全身全霊の賛美)

 まず霊的アンテナを立てること。そのためには教会につながり、礼拝を第一にする信仰の土台が必要。
 次に霊的アンテナの感度を高めていただくよう祈り、御言葉を学ぶこと。高ぶらず謙遜であり裁かないこと。

最後は自分への備忘録になってしまいましたね・・・


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この記事へのコメント

M
2008年09月30日 09:09
ゴスペルを歌うことによって神様の存在を知り、イエス様こそ私の唯一の救い主であると受け入れることができました。
ですが、家族に信仰を反対され、礼拝に行くこともできない私は「こうやってゴスペルを歌い神様を賛美する資格なんてないのかな・・」と苦しんでいます。
2008年09月30日 12:53
>Mさん
ハレルヤ!!ゴスペルを通じて救われたんですね。素晴らしいです。
ご家族に理解されず辛い状況お察しします。しかしそれで教会に行けないからといって「神様を賛美する資格がない」なんてことは絶対にありませんよ!
このブログで書いたのは、リーダーシップを取る者のことであって、自分の力ではどうしようもない状況にあるMさんのような方や、特に深く考えずに楽しくゴスペルを歌っている人に対して批判したりしているんじゃないことをご理解下さい。
日曜日に教会に行けなくても、所属するクワイヤーのリハに参加し、信頼できる信仰の先輩に心を打ち明けて祈ってもらってください。神様はMさんのことを愛し、気にかけてくださっていますから、最善のタイミングで道が開かれると確信しています。
賛美を止めないで下さい!!
あき@新潟
2008年09月30日 21:50
Mさん、わたしもそんな状態でした。
信仰を反対され、礼拝に行こうとするたびに大喧嘩。
喧嘩の中で面と向かって、偽善者といわれたこともありました。
これが2年近く前の話です。
少しずつ祈っていくうちに、いろいろありながらも、礼拝だけでなく、平日の夜にある祈祷会にもいけるようになりました。
イエス様は、インマヌエル「主はともにいてくれる」という名前を持ってるお方です。だから、もし、御家庭の事情で礼拝にいけなくても、家の中で、イエス様のことを思って、祈ったり、聖書を読んだりするなら、それを礼拝として受け取ってくださると思います。
でも、やっぱり、ベストは、教会の礼拝に行くことだと思います。そのために、祈っていけば、必ず、礼拝にも、そのほかの奉仕にも、出れるようになると思います。
そして、もしかしたら、今礼拝に出れないのは、礼拝に出れなくて苦しんでる人を、将来励ませるようになのかもしれないですよ。
M
2008年10月01日 00:54
たまさま、あき@新潟さま、暖かいお言葉ありがとうございます。

つい挫けてしまいそうな時も、1人神様を思い、祈っています。
「こんな私でもきっと神様はわかっていてくださる」と信じつつも涙が止まらないときもあります。
でも、ゴスペルの練習にいくことは許されているのでその時だけは心おきなく神様を賛美できるのです・・

私の苦しみを聞いてくださってありがとうございます。

これからも祈っていきます。

イエス様はいつも私の横にいてくださるんです。

だから歌い続けます。

2008年10月01日 01:20
>あきちゃん
苦しみを通り抜けてきた経験が、兄弟姉妹のために用いられるねこれからも主の愛で人を励ます人になってください
2008年10月01日 01:26
>Mさん
聖書の御言葉をプレゼントします。
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
 それでは、これらの事について、なんと言おうか。もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。」(ローマ8:28&31)

今の苦しみは必ずプラスへ変えられる時が来ます!
そして孤独じゃありません!!

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