Tama’s ゴスペラー日記

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<<   作成日時 : 2014/01/09 00:45   >>

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 昨日は今年最初のICGCリハーサルでした。
 年頭ということもあり、美和ちゃんの提案でメンバー個々にマイクを回して今年の目標や希望をシェアしあいました。

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 真面目に目標を語るメンバーもいれば、ボケて笑いを取りながら話すメンバーもいたりして、それぞれ個性が出ていて楽しかった

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 そしてクワイアとしては新曲のMore Like Him にトライしました。あえて素人の黒人クワイアのいなたい感じの動画をどうぞ



 内容はひたすら「主イエスのようになりたいと繰り返すものです。
 わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。(コリント人への第2の手紙3:18)

 この聖書の言葉のように、主イエスを知り、信じてその言葉に従って歩むことで主イエスのような者へと変えられていくというのです。
 もちろん私たちは神ではありませんから、この地上での生涯で完全に同じになることはありません。しかし主イエスが再び来られる時に完全に清められ、永遠の命が与えられ、完成した者へとされるのがクリスチャンの望みです。

 さて、More Like Himを賛美した後、バイブルメッセージを取り次がせていただきました。
 いつも年の最初のリハでは1年間のテーマとなる聖書の言葉を祈り求めて、それをお話しすることにしていますが今年与えられたのは有名なヨハネによる福音書15:5でした。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。

 これは十字架にかけられる寸前、最後の晩餐の時に主イエスが弟子たちに語られた言葉です。
 ぶどうの木と枝によって、主イエスと主イエスの救いにあずかる者の関係が描かれています。
 ぶどうは旧約聖書の時代からパレスチナ地方で栽培されており、乾燥にも強く、水分が貴重な土地にあってぶどうの実から採れる果汁は保存もきき、飲料として非常に重要でした。
 良いぶどうが実るためには当然その枝が幹にしっかりとつながっている必要があります。つながっていなければ養分や水分が行き渡らないからです。
 この「つながって」と訳されている原語はギリシャ語でμένω(メノウ)=「遵守」「逸脱しない」「保持」「あり続ける」「耐える」「待つ」という意味を持つ言葉です。
 これは主イエスの譬えを理解する上で大変重要なキーワードであって、たとえどんなことがあってもつながり続け、耐え続け、待ち続けるという枝としての在り方が見えてきますよね。
 もしそうでなければ農夫である父なる神が枝を剪定して火に投げ込む(2節、6節)と、この前後で言われています。
 この譬えはまず第1の意味としてはクリスチャンが祝福を豊かに受けるためにどうあるべきかが語られています。厳しいですね。
 そして第2番目の意味としては、「わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである」とあるように、まだ主イエスを信じていない人の空しさがあります。
 主イエスにつながっていない状態、ここでいえば棒切れのような枝の状態でどんなに目標を立て努力し、一定の成果をおさめたとしても終わりの日は必ずやってきてしまうのです。それは死です。
 死によってその人の築いてきた富、名誉、知識などはいずれ消え去り、死後に持っていくことは出来ないのです。

 このように主イエスの譬え話の多くは「裁き」「救い」が対になっていることを見逃してはいけません。「裁き」があるからこそ私たちは「救い」が絶対に必要であり、「滅びてはならないというのが神の愛のメッセージなのです。
 聖書は、私たちが滅びないために神が備えて下さった生ける御言葉と言って差し支えないでしょう。

 ですから、すでに主イエスを信じている人は幹であるキリストにしがみついて離れないようにしましょう。
 また、まだ主イエスを信じていない人はこの木につながりましょう。

 実はぶどうのことを調べていくうちに、大変興味深い事実を知りました。
 聖書の時代にはなかったことなのですが、より芳醇な良いぶどうの実を得るためには、違う種類のぶどうの枝を接ぎ木することが現在では当たり前なのだそうです。
 私たち人間が主イエスを信じる前は、当然彼につながっていませんから異質であり、交わることがない存在であると言えるでしょう。しかし農夫である父なる神の愛と聖霊の働きのよって主イエスという幹に接ぎ木されるならば、最初は異質だった枝に幹から養分と水分が流れ、やがてはしっかりつながって同質なものへと変えられていくのではないでしょうか。
 接ぎ木というのは神が人間に与えられた知力によって開発された技術ですが、違う種類をつなぎ合わせても同化し、かえって良いものへと変化して豊かな実が実るというのは神の摂理なのではないでしょうか。

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 この正月、2歳の私の孫娘は、どういうわけか座っている私の胸めがけて猛突進で飛び込む遊びを覚えてしまい、何度も面白がってはそれを繰り返すのでしたその無邪気さが何とも可愛い。
 しかしもし私が彼女の突進をかわしてしまったらどうなるでしょうか きっと勢い余って机の角にぶつかって大泣きするでしょう。そしてもう私のことを信じなくなって、二度と歓声をあげながら私の胸に突進してくることはないでしょう。
 だから彼女が何十回思い切り走ってきても、にこにこしながら受け止め続けます。絶対に避けることなどしません。彼女をとってもいとおしく思い、愛していますから

 それは神である主イエスも同じなのです。
 もしあなたが幼子のように信頼して主イエスを求めるなら、求めて手を伸ばすなら、彼の方からも手を差し伸べておられることに気づくでしょう。
 もう一度ヨハネによる福音書15:5のこの言葉に注目してください。
「もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、」 
 つながることは一方通行ではないことがわかります。双方向からつながるのです

 そして主イエスにつながることによって結ぶ実。しかも豊かに結ぶ実、とはどんな実でしょうか。
 こういう有名な聖書の言葉があります。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
(ガラテヤ人への手紙5:22〜24)

 まさに主イエスのご性質だということがわかります。
 「主イエスのようになりたい More Like Him と切望するその答えがあるじゃないですか
 でも究極の実はこれです。
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう
(ヨハネの黙示録2:7)

 最初の人、アダムとエバが許されていなかった善悪を知る木の実を食べてしまったことから人間に死が入り込みました。
 しかし主イエス・キリストにつながることによって、今度は神の永遠のパラダイスにある「いのちの木の実を食べること」がゆるされるのです。

 2014年のICGCは、すべてのメンバーが実を豊かに結ぶために活動していきます。


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