Tama’s ゴスペラー日記

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zoom RSS 人間とは「上を見上げる者」

<<   作成日時 : 2012/06/16 23:52   >>

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 新約聖書の原語であるギリシャ語の「人間」=「アンスロポス」 άνθρωπος とは、「上を見上げる者」という意味の言葉から合成されています。
  人はどんなに信仰を持たない人であっても神に祈り、神に助けを求め、祈る時が人生の局面において与えられるものですよね。これは人が天地万物を創造された神の被造物であることを物語っています。
われわれ(*注)のかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。  
(創世記1:26)

 神はそう言って人を造りました。
*注 
 ちなみに神は唯一なのになぜ聖書は「われわれ」と複数形になっているのでしょうか?
 古代ヘブライ語では偉大な存在、美しいもの等をいう名詞は実際に単数であっても複数形で書くという奇妙な特徴が有りました。 それはその偉大な存在・ものに対して敬意を表す為であって日本語の敬語のような役割を果たしていました。 例えば、山は一つしかないのにその偉大さを表す為にわざと複数形の「山々」で書いたそうです。
よって聖書の(「われわれ」=原語では「エロヒム」)は複数形に見えても意味的には単数だと分かります。

 神は、人を神の形に作られたのです。それは、人間を、他の動物や被造物とちがう存在、神と交わるように、神を礼拝するように特別な存在として作られたという意味であります。
 この世界のすべてのものは、神が創造されました。造られたもので神が創造しなかったものはありません。その意味で、人間も、動物もおなじく神の被造物ですが、動物はどんなに知恵があるチンパンジーでも神を礼拝しません。
 それにはもう一つ理由があります。
主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。
(創世記2:7)

 神ご自身の「息」を吹き入れられたのです。これは旧約聖書の原語であるヘブライ語ではルアーハ(רוה)と書かれており、ルアーハには「息」とか「風」の意味があります。これが70人訳と言われるイエスの時代に翻訳されていたギリシャ語聖書では「霊」という意味のプニューマ Πνεύμα となっています。

 このことから人間は霊的な存在であることがわかります。
神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。 
(ヨハネによる福音書4:24)

 イエスご自身がこう明言している通り、神は霊ですから、神の息を吹き込まれた人間だけが神を感じ、神とコミュニケーションを取ることが出来るというわけです。

 信じる対象が何であるかを問わず、「苦しい時の神頼み」という感情が起こるのにはこういうれっきとした理由があることがわかりますね。
 まさに人間とは「上を見上げる者」なのです。

 今週、ある方の話を聞き、福音を伝え、祈る機会が与えられました。
 その方はかつて世界救世教という新興宗教を信じており、脱会後は、信じてはいないもののキリスト教の異端である統一協会と知らず知らずのうちにかかわりを持たざるを得なくなり、同じくエホバの証人にも伝道され続けているという状況でありました。
 家族の問題で現実に様々な困難があり、相談していた人に連れて行かれたのが統一協会で、そこでは先祖の死に方が良くないことや、供養がちゃんとされていないことが問題の原因であることなどを指摘され、この方は不安でたまらない状態に陥っていました。
 こういう宗教は人の不安をあおり、神によってプログラムされた「神を礼拝したい」という霊的な部分を巧みに利用して引き込み、マインドコントロールしようとします。これは本当に憂うべきことです。
 
 汎神論的な神観を持つ日本の文化の中で生きる私たちクリスチャンは、聖書の正しい神観を受け取り、理解し、救いについて伝えなければならないと強く思わされます。
 そこで、聖書そのものから神・罪・救い、ということについてまとめたいと思います。
真の神とは?
 まず神について学んでいきましょう。

★天地万物を創造した神です

はじめに神は天と地とを創造された。
(創世記1章1節)

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。(同上1章27節)

すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
(ヨハネによる福音書1章3節)

★全知全能の神です。

神には、なんでもできないことはありません。
(ルカによる福音書1章37節)

★唯一の神です。

さて、偶像への供え物を食べることについては、わたしたちは、偶像なるものは実際は世に存在しないこと、また、唯一の神のほかには神がないことを、知っている。
(コリント人の第一の手紙8章4節)

わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。
(コリント人の第一の手紙8章6節)

★愛なる神です。

わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。
(ヨハネの第一の手紙4章16節)

しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。
(ローマ人への手紙5章8節)

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
(ヨハネの第一の手紙4章10節)

★あなたといつも共にいてくださる神です。

主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。
(ヘブル人への手紙13章5節)

罪とは?
 まず神について聖書から学びました。次に、神と私たちを引き離す「罪」について聖書から見ていきたいと思います。

★人は生まれながらに罪(神から離れる性質)をもっており、聖く正しい神は、罪あるままの状態の人間を受け入れることができません

「義人はいない、ひとりもいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない。すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない。
(ローマ人への手紙3章10-12節)

すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
(同上3章23節)

すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。 もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。
(同上7章19.20節)

★肉体が死ねば、人は「無」になるのでしょうか?
 聖書には、人は肉体的に死んだ後でも霊的に存在し、神の前に立つことになる、と書かれています。


そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、
(ヘブル人への手紙9章27節)

だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、 炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。 そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。
(マタイによる福音書13章40-43節)

救いとは?
 神とはどんなお方なのか。神と私たちを引き離す罪と、罪がもたらす結果は何かについて学んできました。最後に私たちの救いについて聖書から知りたいと思います。

★愛なる神は、すべての人が救われて永遠の命を持つことを願っておられます。

神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。
(テモテへの第一の手紙2章4節)

★そこで、神は私たちの罪を赦し、滅びから救い出すために、イエス・キリストを地上に送り、私たちが負うべき罪の刑罰を十字架の上で受けさせ、それによって私たちの罪を帳消しにしてくださいました。

しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
(イザヤ書53章5節)

★イエス・キリストは一度死にましたが、三日目に死を打ち破ってよみがえられました。誰でも、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れるなら、罪を赦され、滅びの刑罰から救われ、永遠の命を与えられます。

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 (ヨハネによる福音書3章16節)

★あなたもイエス・キリストを自分の救い主として心に迎え入れませんか?

もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
(ヨハネの第一の手紙1章9節)

すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
(ローマ人への手紙10章9.10節)

★私たちは造りかえられます。

だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
(コリント人への第二の手紙5章17節)

★私たちが行くべき究極の場所があります。

「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
(ヨハネの黙示録21章3〜4節)

 ぜひ神からのメッセージである聖書の言葉を受け取っていただきたいと心から願います。

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内 容 ニックネーム/日時
時々おじゃましています。私たちは上を見上げるように創造されたものです。アーメンです。
お世話になった次男は神さまからすさまじい剪定をしていただき、スリムになって(心が)、今年の1月に田舎に帰ってきました。
親の私たちはバッサリと切り詰められた若木のような次男の芽吹きにより、信仰が新しい革袋に代えられる心地です。
たまさんのブログは福音のための力強い言葉が迫ってきます。ぬるま湯につかっているものははっとさせられます。
鶴岡の須藤
2012/06/18 22:13
>須藤さん
いつもお読みくださり感謝します!
息子さんの近況も教えてくださり嬉しいです。
鶴岡の家庭的な教会、今でも鮮明に目に浮かびます。
先生、信徒の皆様はお元気ですか?
このようにWEBを通してつながりあえるのは恵みですね。
皆様の祝福をお祈りいたします
たま
2012/06/20 12:26

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