Tama’s ゴスペラー日記

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<<   作成日時 : 2012/03/08 01:27   >>

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 主の御旨に応えて

 福音宣教の拠点として、当教会の前身、中央福音会館(エバンジェリスティックセンター)が、環状線池袋東口(都電・日の出町三丁目)に伝道を開始したのは、1953年3月の事で、戦争の傷跡がなお生々しく残る町に集まる大衆を対象とした働きのためでした。しかし、宣教に重点が置かれたセンターの役割は、10年を経ずして終わりを告げ、1962年には現在地に移転をし、名称も中央福音教会と変更し、福音宣教推進は言うまでもなく、その名のように地域教会としての教会形成と活動を進めることとなりました。
 父なる神の御旨に従って、人の子となって地上の営みを体験された主キリストの御旨は、この地上に「わたしの教会を建てる」と言われた御言葉の中に明らかにされています。その構成員は「すべての国民」の中から召命に応えた者であり、その資質は、「あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように」、聖霊によって整えられる人達を指しております。
 御言葉が宣言される場所は、いつの時代においても「荒野」であり、そこで主の召しをこうむった人々の集いは、まさに荒野における集会であります。旧契約下においてモーセは、「荒野における集会(エクレシヤ)」に対して、神からの「生ける御言葉を授かり」、神の民となったエクソダスの民に伝えました。「生ける神の言葉」だけが、荒野における神の民の「道標(みちしるべ)」となりました。
 主の御年1964年に、東京にオリンピックが招致されました。その開催を機に、日本全土にわたり、特に東京の都市としての体裁が整備されましたが、世界的な行事を主催しても、この都市の「荒野性」は変えられませんでした。その翌年、1965年9月12日第二主日にわたしたちは、この教会の牧師としての役割を果たすべく、就任いたしました。米国での研鑽を終えて帰国した翌日の礼拝からでした。それから、この歓楽街の真ん中に位置する「教会(エクレシヤ)」の堅立のため主から「生ける神の御言葉」を頂戴し、それを忠実に「守るように」伝えることによって教会形成を目指してまいりました。   
(後略)

 この一文は、2007年9月に刊行された佐布正義師の説教集「荒野の道標」の巻頭言です。
 
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 中央福音教会50年の歴史のうち、47年もの間牧会者として仕えておられるだけでもすごいのですが、その間日曜日の礼拝を休まれたことは、奉仕のために海外に招聘されていた4回(1か月)だけだと言いますから驚異と言う他ありません。
 肉体を持った人間なのに、体調不良で休まれたことは一度もないんですよ
 この巻頭言にあるように、霊的な荒野に、救いに至る唯一の道標としてのエクレシヤを建て上げ、主なる神の御旨のみに従って牧する責任と情熱のかたまり。それが我が牧師なのであります。


 
 日本アッセンブリー教団の理事長を2度、中央聖書神学校校長、超教派の日本福音主義神学会理事長を長年務めるという、ペンテコステ派だけではなく福音派の重鎮であるにもかかわらずこの熱さ。まるで黒人教会の説教者のようでもあります

 その佐布師が今年の1月に81歳の誕生日を迎え、「あと20年は元気に熱く福音を語り続ける」ために肉体の傷んでおられる部分をメンテナンスせねば・・・と入院することを決断され、2月第三主日から3月第一主日まで礼拝をお休みされることになりました。
 礼拝こそクリスチャンの最大の恵み・喜び・特権であり、最高の奉仕であると普段から説かれておられる師にとっては本当に大きな決断であったと思います。
 私たち信徒にとっても、海外から大物ゲストスピーカーが来られた時以外に佐布師以外の方が朝の第一礼拝で説教されたことはなく、また私が子供の頃に副牧師の先生がおられた時以外は司式もすべて佐布師がやっておられたので、主任牧師不在の礼拝はほとんどの人が未体験。
 そんな中、佐布師不在中3度の礼拝でピンチヒッターとして立てられたのは、中央福音教会出身の井野正人師(西多摩キリスト教会)、

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 中央福音教会伝道師でゴスペラーにはお馴染みの関口尚子師

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 佐布師が退任された後、日本福音主義神学会理事を務める若手のホープ・大坂太郎師(ベテルキリスト教会)でした。

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 では司会者はどうなるのかな?
 説教者が知らされた時にまるで他人事のように思ったものですが、関口先生から、

「最初は礼典担当のベテラン信徒Y兄、次は神学生ということで塩谷美和姉、最後は同じ神学生として玉山兄です。」

 と告げられ、

「おー とうとう来たかー」

 覚悟と共に重圧感が押し寄せてきました。

 礼拝とは、牧師が神に徹底的に祈り、交わって与えられた御言葉の解き明かし(説教)が中心にあって、その主題に則した賛美が選ばれ、更にその主題に則した旧約聖書が読まれて進められていきます。この流れは聖霊の導きですから、司会者と説教者が霊的に一致していないと礼拝そのものが壊れかねないのです。
 ですから礼拝司会は深い信仰を持つだけでなく、霊的に成熟した者でなければ任せられません。

 「神学生ならば立たなければならない。これは愛情のこもった訓練だ。」

 すぐに気持ちが引き締まりました。
 私は教会生活が長く、第二礼拝の司会は何年も前から数えきれないくらいやらせていただきました。第二礼拝も礼拝であることに変わりはありませんが、テーマ性を持たせ、第一礼拝に比べてカジュアルにやるのが伝統なんですね。だから30年以上前からバンドがあったり、ゴスペル&メッセージのようなことが出来ていたわけです。
 牧師や伝道師の説教も講壇ではなく、一段下に降りて移動式の簡易講壇でやりますので、この言い方にはちょっと語弊がありますが、司会も緊張せずに出来ていました。
 それに比べ、佐布師が47年間命を懸けて御言葉を取り次いできた講壇に上がって司会をするというのは、この教会の歴史を深く知る者にとってはとてつもなく重いことなのです。

 美和ちゃんは中央福音教会に移ってきてから4年ですが、それでもこの重さは肌で感じて相当緊張していました。
 特に司会者・説教者共に女性という組合せは教会の歴史上初ということですし、ゴスペルミニストリー出身者が講壇に立つのも初
 そんな緊張に負けることなく、彼女も聖霊に導かれ立派に素晴らしい奉仕を務め上げました
 この2月最終の礼拝では新たな1ページが教会に刻まれたといってもいいでしょう。

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 そしていよいよ3月最初の礼拝。私の出番がやってきました。
 前日の夜、大坂師からの説教のアウトラインと聖書箇所を読み、選ばれた賛美の歌詞を深く味わい、祈り備えました。この時間が実に恵みだったんです
 当日、礼拝の20分ほど前に大坂師に挨拶に行くと、「説教とは」という話題で盛り上がってしまい気が付くと5分前。つくずく前の晩にじっくり祈り備えていてよかったと思いましたね。もちろん壇上に上がり待機する5分間で祈り、流れをもう一度見直しましたが。
 
 10:30になりオルガンの前奏が終わってとうとう講壇に立ちました。
 するとそこには別世界が広がっていました。清い主の臨在が確かにそこに満ちていました。それを感じ取った瞬間、重圧が完全に取り払われ、厳粛に主の前に進み出る光栄さと賛美の喜びに包まれたのです。でも頭の一部分は冷静に冴えて、式を導いていくことができました。これこそ聖霊の為せる業でした。

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 礼拝は素晴らしい天からの祝福の内に終了。
 この教会で救われてから33年目の主から頂いた大仕事でありました。
かつ、だれもこの栄誉ある務めを自分で得るのではなく、アロンの場合のように、神の召しによって受けるのである。
(へブル人への手紙5:4)


 ただ主に栄光。


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