Tama’s ゴスペラー日記

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zoom RSS 33年前の洗礼式

<<   作成日時 : 2012/02/28 00:17   >>

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すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。 
(ローマ人への手紙10:9〜10)

 これは本当に素晴らしい恵みの御言葉です。
 「救われる」とは、「神の怒り」から解放されることです。聖書を読まなくても、私たち人間の心には罪責感というものがありますよね。私たちは、生まれながら裁きに対する本能的な恐れを持っています。
 神から離れ自分勝手に生きるという「罪」のゆえに、神と私たちの間には深い淵ができています。罪は私たちに、「死」をもたらしました。

「罪の支払う報酬は死である。」 (ローマ人への手紙6:23)

 とある通りです。しかしその私たちのために、神は救いの道を用意されました。
 それはイエス・キリストが私たちの罪のために身代わりとなって死んでくださったので、私たちの罪が赦されるということです。
 そのことをただ純粋に信じること、そしてそれを告白することで救われる というのが福音=ゴスペルなのです

 私は今を遡ること33年前に信仰告白をし、洗礼を受けました。
 先日珍しく部屋を片付けていたらその時の写真が出てきたんですよ

画像


 「1978年11月19日 洗礼式」

 そのアルバムにはそう記されていました。中学3年の時です。
 この写真は佐布牧師から

「あなたはイエス・キリストを救い主として信じますか?」

 と尋ねられているところですね。(右から2人目)

画像


 そしていよいよ洗礼槽に入り

「父と子と聖霊の名によってあなたにバプテスマを授ける」

 と宣言され、全身水に浸かるところ。
 この瞬間から私のクリスチャンとしての歩みが始まったということですね。

 振り返ってみると、私がどんな歩みをしていようとも確実に主が共におられ、導いて下さったと感じることが出来ます。洗礼を機に世の価値観から、キリストの価値観に変えられていったなぁ・・・と痛感するのです。
 そしてそれは心から良かったなぁ・・・と思うのです。なぜならその後の33年間、どんな局面が私を襲っても絶望することがないから。

 ところでとてもハレルヤなことに、先週信仰告白をしたばかりの人から、

「洗礼って受けなければいけないものなんでしょうか?」

 と聞かれたばかりだったんですね。そんなタイミングでこの写真が出てきたものですから、これは洗礼について証ししなさいということですよね
 
 ではでは・・・ 
 洗礼(バプテスマ)とは何でしょうか。言葉の意味は、ギリシャ語で「つける」「浸す」「洗う」という動詞から派生し、水に浸すことや洗い清めることを意味するんですね。
 そしてその重要な洗礼の意義を聖書から見ていきたいと思います。

1.イエスご自身が私たちの模範として受けられた
 イエスは神ですから、罪などまったくありませんでした。しかしバプテスマのヨハネの所に出向き、ヨハネが躊躇するのを制して受けられました。
 水から上がると、 
『天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。』 (マタイによる福音書3:16〜17)
 これは神を信じ従う者が誰も受けるべき事であり、神の御心にかなうことであるとイエス自身が指し示すためでありました。

2.罪と悪の世に対して死に、新しく神と共に生きることの象徴
 これは以下の聖書の言葉に集約されます。

 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストとが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。
 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にもひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。
 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことはなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。
このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。
 (ローマ人への手紙6:3〜11)

 私たちは水に浸かった瞬間に古い自分が死に、水から引き揚げられた瞬間にイエスの復活と共に神と新しく生きる者とされるのです。

3.神と会衆の前にする信仰告白
 このブログの冒頭にあげたローマ人への手紙10:9〜10にあるように、信仰は公にされるべきです。また、イエスご自身がこうおっしゃっています。

だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいます私の父の前で受けいれるであろう。
しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいます私の父の前で拒むであろう。
 (マタイによる福音書10:32〜33)

4.イエスが命じ、弟子たちが実践していた
 復活したイエスは天にお戻りになる直前に弟子たちにこう言い置きました。

それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。 (マタイによる福音書28:19〜20) 

 洗礼は主ご自身からの命令なのです。
 弟子たちはそれ以降、イエスを信じた人々に洗礼を授けるようになりました。それが2012年に至るまで守られてきているのです。

 十字架のあがないを信じて、悔い改め、救われた人ならば洗礼を受けない理由は何もありません。
 この大きな恵みをあなたもぜひ体験してください 
 33年たっても喜びは色あせるどころか、右肩上がりですから


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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
玉さん若〜い!
素晴らしい思い出の写真をアップして下さってありがとうございます☆

玉さんが主に仕える姿は本当に素晴らしいですし
こちらのブログには
私が人に聞かれてもうまく説明できなかったことが
実に分かり易く書かれていて
クリスチャンにも、クリスチャンではない方にもおすすめのブログです♪
まき
2012/02/29 20:58
>まきちゃん
「若〜い」っていうか、これ中学生だからねー
若くなくちゃ困る(笑)

記事についてはまさにまきちゃんのように感じてくれる人がいたら…と思って書いてます。
これからも祈りで支えてくださいね
たま
2012/03/01 00:08
33年前にバプテスマを授かったのですネ!御前に感謝!そして今、ゴスペルを通してのお働きを担っておられるのですネ。33年は、1つの節目ですネ。こらからもお働きの祝福を祈ります!
ツハ
2012/03/03 14:22

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