Tama’s ゴスペラー日記

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<<   作成日時 : 2012/01/26 01:11   >>

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 昨夜のICGCのリハに創設時のメンバーだったTちゃんが来てくれました。
 彼女は5年くらいまでは中心メンバーとして様々な面でICGCを支えてくれていましたが、ICGCの変革期とも重なり脱退。しかしICGCとも交流のある他のクワイヤーでゴスペルを続け、いろいろなイベントで顔を合わせたり池ゴスに来てくれたりと交流は続けていました。

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               (2003年のICGCリハ風景)

 リハにも時々来てくれるので、昨夜も特別に珍しい気もせずに迎え、共に賛美をして、最後の祈りのをし報告や連絡の時間になりました。
 するとTちゃんからおもむろに

「報告があります。」

 と。

「とうとう洗礼を受けることになりました。」

「ゴスペルを始めてからずっとゴスペルは音楽だと思っていました。でもゴスペルは音楽じゃありません神様の言葉なんです
 2年前に大きな病気になってずっと入院していた時も、ゴスペル=神様の言葉があったから心は守られたんですね。今はゴスペルが神様の言葉として、スポンジに水がしみ込むようにどんどん入ってきます。2年前にイエス様を信じてからもその病気、そして去年の震災と、なかなか洗礼に踏み切ることができなかったんですけど、今年になってもう抑えることが出来なくなって、牧師先生に申し出ました。」


 私がICGCを始める前、彼女はすでに他のクワイヤーの姉御的存在で、何事もてきぱきと仕切っていててっきりベテランのクリスチャンかと思ったものです。
 ICGCが出来た時、よちよち歩きの弱小クワイヤーを助けるためにメンバーになってくれたんですね。
 ですから彼女の細々とした気遣いや、けん引力にずいぶん助けられました。しかしやはりクリスチャンではなかったので、どうしてもこの世の価値基準で物事を考え進めていくしかないわけで、そのあたりで段々とひずみが生じていったような気がします。
 特に彼女は一流企業のキャリアウーマンで、何しろ仕事がバリバリできる人。業務の効率化、人材活用、そして業績アップ・・・ その価値観と、人の目からはどんなにダメに見えても神の目からは唯一無二の大事な存在と考える聖書の価値観とのギャップは埋めがたい。

 でもそんな彼女を神は決して離さなかったのです。
 ICGCからは離れましたが、前述の通り、ゴスペルを歌うことからは離れない心を神は彼女に与えてくださいました。
 元来物事に対しとても真摯に取り組む人ですから、何年もゴスペルを歌い続けるうちに、聖霊が心の扉をたたく音を無視することが出来なくなったのでしょう。
 2年前、TPWのコンサートが聖書キリスト教会であった時、とうとうアンドレ牧師の招きに応じ、前に出て信仰告白をする彼女を目の当たりにして、大きな感動に包まれたことをよく覚えています。

 それからは、いつ彼女が洗礼を受けるのかなぁ・・・と思いめぐらせつつも、神が最善の時を備えてくださっていることを信じ、また教会の礼拝に通っていることも聞いて祈っていましたが、とうとうその時がやって来たというわけです

 実は2004年3月に第1回NYゴスペルツアーを実施した時に、Tちゃんも参加してくれたのですが、その時にMOGUICGCで一番最初に信仰告白をするという大きな喜びの出来事がありました。
 真夜中のホテルロビーでMOGUに私が御言葉をシェアし、祈り、JESUSを救い主として信じる告白に導いたその現場に、彼女もずっと居てくれたのです。

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「私は何人もクリスチャンになっていくのを見送って来たのよ。はっはっはっ

 おそらくそういうシーンをたくさん見送って来たことも、彼女の固かった心をゆっくりゆっくり溶かしていったのではないでしょうか。
 そして数えきれないほど歌ってきたゴスペルの歌詞、数えきれないほど語られてきた聖書のメッセージ。さらに病気、多くのゴスペラーとの出会い。
 彼女にとってはそのような複合した要素が混じり合って、最強の「心の溶解剤」になるまでの長い熟成期間が必要だったのではないかと思うのです。

 そんな素晴らしい発表を聞いた帰り道、去年の4月にICGCに来て、あれよあれよという間に9月には洗礼を受けたNちゃんが、

「最近、教会外の人と話してて、神様以外の話になると全然ついていけないっていうか興味が湧かないっていうかなんですよねー。だってゴスペルとか賛美じゃないと恵まれないし、他の音楽聞きたくないんだもん。」

 しみじみとそんなことを語り出しました。

「それに友達と話してて、前は一緒になって盛り上がってた普通の話で全然盛り上がらないんで、『なんか変わったよね?』ってよく言われるし・・・」

 JESUSに出会う前の彼女は、本当に空しく苦しい心にふたをして生きてきたから、本当の希望を受け取ってからの心の激変ぶりは半端ないわけですね。

 私は洗礼に至るまで10年以上かかったTちゃんの報告と、数か月で洗礼を受けたNちゃんの対照的な話をそれぞれ聞いて主の御名を崇めずにはいられませんでした。
 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
(伝道の書3:1)

 そうです。私たちには思い描く段取り、ストーリーがあって、そのように人が導かれないと焦ったり、失望したりしますが、人を救って下さるのは神ご自身に他ならず、神が備えられた救いの最善の時があるということです。
 早い、遅い、という人の基準ではなく、神の基準に信頼すること。そして与えられた務めに励むこと。
 また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。
 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」。

(マルコによる福音書4:26〜29)

 また、ミニストリーに携わる者は、自分の工夫や努力によって魂が救われるという錯覚に陥りがちです。しかし聖書は明確に宣言します。
アポロは、いったい、何者か。また、パウロは何者か。あなたがたを信仰に導いた人にすぎない。しかもそれぞれ、主が与えられた分に応じて仕えているのである。わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。
(コリント人への第1の手紙3:5〜6)

 ICGCがスタートして9年。池ゴスがスタートして4年。
 神が始められた池袋のゴスペルミニストリーを通じて、はっきりわかっているだけで14人がイエス・キリストを救い主と信じ告白しました。池ゴスは単発のゴスペルワークショップですから、その影響で信じたという人を全部把握することが出来ないので、ひょっとしたらもっといるのかもしれません。
 これが少ないのか、多いのかはわかりません。ただ神ご自身がその御腕を動かされ、私たちが応答していなかったならそれはゼロだったということははっきりと言えます。 
御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心で良く教えて、責め、戒め、勧めなさい。
(テモテへの第2の手紙4:2)

 私がこれからもとり続けるべき姿勢はこの御言葉に尽きます。
 人それぞれに備えておられる「神の時」に期待し、従順に従い続ける信仰。


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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
ハレルヤ!
あのTちゃんが遂に洗礼を受けること 本当に嬉しいです♪懐かしい写真もアップして下さってありがとうございます☆
まき
2012/01/31 22:49

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