Tama’s ゴスペラー日記

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zoom RSS 孤独からの解放

<<   作成日時 : 2011/10/15 22:58   >>

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 あなたは、友人とおしゃべりしている時、街の雑踏の中を歩いている時、仕事や勉強に追われている時、ひとり自分の部屋にいる時、何かしらふと、
「自分はひとりばっちだ‥‥」
「たまらなく寂しい‥‥」
「人は何のために生きているのだろう‥‥」

 という思いに満たされ、孤独感に陥ってしまうようなことがありませんか。
 結局、自分を分かってくれる人はだれもいないのではないかという、そのような思いは誰でも持ったことがあると思います。
 しかし、このような現実の中で、神だけは絶対に私を見捨てることはない、という信仰を持つことが出来たとしたら、何と幸いなことでしょうか。ましてや神は、私たち一人一人を見ておられるだけでなく、私たちと共に苦しんでくださり、また、守り導いてくださる方です。それを知る事が出来たのなら孤独から完全に解放されます

 新約聖書ルカによる福音書19章1節から10節までにこういう話が書かれています。
 
 ユダヤのエリコの街にザアカイという大変孤独な人が住んでいました。
 ザアカイの職業は取税人のかしらでしたが、彼は、子供の頃から背が小さくて、「チビのザアカイ!」といじめを受けながら成長して大人になったのではないかと思います。
 さて、当時ユダヤの国は、ローマの属国であり、ローマの支配下にあったのですが、「取税人」というのはローマ政府から委託されて税金を徴収する仕事で、しかも、その取税人のかしらですから、税務署の署長さんのような立場であったかもしれません。
 ところが、当時の「取税人」というのは、当然集めるべきお金よりも多くをだまし取って、ごまかして、着服していたことが多かったと言われています。ザアカイも、他の取税人と同じようにお金をだまし取っていました。
 ですから、日々良心の呵責を感じて過ごしていたのでしょう。彼はお金を貯めることに人生の価値を見出したように感じるようになったのですが、彼の心は空虚で、どんなにお金を貯めても、立派な邸宅を建てても、それで心が満たされることはなかったのです。

 それから、ザアカイは幼少時から劣等感を持って悩んでいました。人間は誰でも、多かれ少なかれ、コンプレックスを持っているものです。劣等感には、四つの種類があると言われています。

(1)肉体的劣等感
(2)性格的劣等感
(3)能力的劣等感
(4)社会的劣等感


 の4つです。そして、ザアカイには、このどれもがあったのではないかと推測することができます。まず、彼は背が低かったことが書かれていますから、彼には「肉体的劣等感」があったのです。また、背が低かったザアカイは小さい時から友だちもなく孤独な少年時代を過ごし、性格的にも卑屈でひねくれた人間になり、「性格的な劣等感」を持っていた可能性もあります。また、彼は背が低いために普通の人ができることができないという「能力的劣等感」があったことも推測できます。そして、彼の職業のゆえに、同胞からは売国奴のように言われ、「社会的劣等感」があったであろうと思われます。

 さて、ザアカイがそのような心が満たされない孤独な日々を送っていた時に、イエスがエリコの街をお通りになったのです。彼はイエスがどんな方か見ようとして、家を飛び出し、群集がいる方向に向かって走って行きました。しかし、彼は背が低くて、群集のためにイエスを見ることができなかったのです。それで、イエスを見るために、前方に走って行き、いちじく桑の木に登りました。
 大の大人が、見栄も外聞も捨てて、木に登ってイエスを見ようとした彼の純朴さに感動しますね。
 そんな時イエスはちょうどそこに来られ、上を見上げて彼に言われました。

「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」

 と。ザアカイは、当然一度もイエスにお会いしたことがありません。しかし自分のことを知っていて、ザアカイの名前をお呼びになられたことに非常に驚き、木から急いで降りて来て大喜びでイエスを迎えたのです。

 この記事でイエスは、

「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは。あなたの家に泊まることにしてあるから。」

 とおっしゃったのには深い意味があります。「‥‥泊まることにするから」ではなく、「あなたの家に泊まることにしてあるから。」と言われたのです。これはすべてをご存じのイエス様が、ザアカイの家に泊まることを最初から計画しておられたことを意味しています。

 そしてイエスはその晩、ザアカイの家にお泊りになられ親しくお交わりになられました。宇宙を創造された偉大な神の御子イエス・キリストが、罪深い一介の取税人の家にお泊りになられたことは何と驚くべきご謙遜ではないでしょうか。
 そして、ザアカイとねんごろにお交わりになられたイエスの愛によって、ザアカイの頑固で冷たい心は、太陽の熱に解かされる氷のように溶かされ、自らの罪を悔い改めてイエスを救い主として受け入れ、その日の夜に回心したのです
 神から迷い出て孤独になり、生きる意味を見失ってしまった一人の人間が、神の御子イエス・キリストに見出されて、愛なる神様のみもとに帰り、その懐(ふところ)に抱かれて平安を見出し、その孤独な人生からも解放されたた素晴らしい見本がここにあります。

 彼はお金持ちになって、自分をいじめた奴らを見返してやろうと考えたのかもしれません。しかし、彼の空虚な心はお金によっては決して満たされることはありませんでした。彼はユダヤ人でしたが、ローマの手先となって税金を取り立てていたので、売国奴のように言われ、大人になっても、やっぱり孤独で、だれも友だちになってくれませんでした。
 彼の心は満たされず、孤独感から解放されることはありませんでした。でも、イエスは彼の孤独な心の中をすべて知っておられました。また、同時に、彼が罪を犯していたこともご存じでした。
 それでもイエスは彼の名前を呼んで、自ら近づいてくださったのです

 イエスはご自身のこの世への来訪の目的を

「失われたものを尋ねだして救うため」(ルカによる福音書19:10)

 だと言われ、ザアカイの他にも実際に病者や罪人、さらには職業的な差別を受けていた社会の底辺に追いやられていた人々に救済の手を伸べ続けたのです。
 それはその時代で終わったのではありません。
 イエス・キリストは今も悩んでいる人々、底辺に置かれている人々、辛くさびしい思いをしている人々を注意深く、また根気よく探しておられるのです。
 あなたのこともよくご存じで、あなたの名前を呼ぼうとしておられる方。それが神の御子であり、救い主、イエス・キリストなのです。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
(マタイによる福音書11:28)

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