Tama’s ゴスペラー日記

アクセスカウンタ

zoom RSS 賛美の上に住まわれる方 〜演歌フレンズコンサート〜

<<   作成日時 : 2011/10/11 00:25   >>

ナイス ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 0

 10月9日は中央福音教会・秋の特別イベント「神の愛を和の心に乗せて 演歌フレンズコンサート」でした。
 1年ぶりに企画したコンサートは、私たちの期待をはるかに上回るものとなりました。

画像


 何が素晴らしかったのか?

 一言で言えば「聖霊」
 演歌フレンズのレパートリーで言えば「エスピリット・サント」

 コンサートを通して、聖霊の働きが濃厚にあって、人が救われ、クリスチャンの心が満たされ引き上げられました。それはひとえに、彼らの演歌はすべて聖書の御言葉を歌っているからです。
 そのレパートリーの8割くらいは御言葉そのまま。あとの2割くらいは聖書の御言葉を基にした歌詞。だから聖歌や讃美歌と変わらないのです。
 それが音頭であろうが、ムード歌謡風であろうが、ド演歌風であろうが、彼らは大真面目で真剣に御言葉を伝えています。



 この「幸い小唄」はマタイによる福音書5:3〜11にあるイエス・キリストの山上の垂訓。



 この「みたまの実音頭」はガラテヤ人への手紙5:22〜23です。

 それを日本人のDNAに刻み込まれている和のメロディーに乗せて歌い上げ、踊るのですからブラックゴスペルには抵抗感がある人にもすんなり受け入れられちゃうんですね。

画像


 そしてバイブルメッセンジャーとして特別にお迎えしたべテルキリスト教会(埼玉県日高市)の大坂太郎先生より有名な放蕩息子(ルカによる福音書15:11〜32)のたとえをテキストに取次いでいただきました。
 聖書の全文を引用すると長いので、要約するとこういうたとえ話です。
 ある人に二人の息子がいた。弟の方が親が健在なうちに、財産の分け前を請求した。そして、父は下の息子の要求通りに与えた。そして、下の息子は遠い国に旅立ち、そこで放蕩に生きて散財した。大飢饉が起きて、その放蕩息子はユダヤ人が汚れているとしている豚の世話の仕事をして生計を立てる。豚のえささえも食べたいと思うくらいに飢えに苦しんだ。
 我に帰った時に、帰るべきところは父のところだと思い立ち、帰途に着く。父は帰ってきた息子を走りよってだきよせる。息子の悔い改めに先行して父の赦しがあった。
父親は、息子のために祝宴を開く。しかし、兄はそれを妬んで父親に不満をぶつけ、弟を軽蔑する。兄は父親にたしなめられる。    (Wikipediaより)

 先生は3つの視点から、神の愛とはどういうものなのかを解説してくださいました。
 父とは神のこと、息子は私たち人間のことです。

1.与えつくす愛
 私たちが自己中心で、どんなにわがままであっても神は十分なものを与えて下さる方である。

2.受容する愛
 どんなに汚れ、罪にまみれた者であっても、悔い改めた者を無条件で受け入れて下さる方である。

3.公平な愛
 ねたむ者にも同様に必要な物を与え、愛を注いでくださる方である。

画像


 上記の1と2は放蕩に身をやつした弟息子に対する神の愛であり、ほとんどのメッセージがこの視点から語られるのですが、大坂先生は3の兄息子に対する神の愛にもスポットを当てられました。
 確かに兄は表面的には父のそばに居た孝行息子(!)に見えます。しかし内実はそうではないのです。むしろ弟同様、心は「遠くはなれていた」のです。
 しかし父はそのような凍りついた怒りをもつ兄に対しても忍耐深く「わが子よ」と語りかけておられるのです。
 このように父の愛は等しく兄弟の両者に向けられていることに私たちは目を向けるべきなのです。
 そして、この物語は32節で父が兄息子に対し諭すところで未完で終わっています。なぜでしょうか?
 それはむしろこの物語を聞く者、つまりこのメッセージを聞いているひとりひとりに対して「あなたはどうするのか」を問うためにそうなっているのです。
 神は誰に対しても大盤振る舞いで、受容して下さる愛のお方です。しかし愛は一方通行では成立しないのです。神の愛を受け取るには私たちの応答が必要です。
 放蕩三昧の弟は父の家に向き直り祝宴に入りました。兄は父になだめられながら祝宴の扉の前にいます。
 
 さあ、あなたはどうされますか?

 心に迫るメッセージでした。
 先生は会衆に信仰への決心を促し、それに2名の方が応答されたとのこと まさに聖霊が働かれておられるのがわかりました。

 引き続き演歌フレンズの皆さんに登場してもらい、賛美タイムへ。

画像


 ひとりひとりが証しを交えて賛美してくれましたが、ギルが聖霊に満たされて、私たちがゴスペルクワイヤーでよく賛美する When I Think About the Lord をいきなり歌い始めたのです。
 会衆にはゴスペラーがたくさんいましたから自然発生的に大合唱に



 撮影者のYさまの声があまりにも大きくて若干わかりにくいですが(笑)、後で教会のベテラン信徒の方が

「あれは打ち合わせしてあったの?感動して鳥肌が立ったー」

 そうおっしゃっていたそう。
 次に登場した原美由紀さんがやはり予定にはないけれど導かれて歌った唱歌「ふるさと」に私はやられちゃいましたね〜

「日本人なら誰でも知っているこの歌は、クリスチャンの方が天の御国をふるさとに見立てて作ったそうなんです。」



 天の御国の情景が浮かんできて、気が付いたら頬を涙が伝っていました・・・。

 作曲者、岡野貞一は熱心なクリスチャン。少年時代に通っていた鳥取教会で初めて賛美歌に接し、お姉さんの影響もあって14歳の時に洗礼を受けました。
 その後、岡山のキリスト教系の中学校に入学し、そこでアメリカ人の宣教師アダムズにオルガンを習って才能を認められ、彼女のすすめで上京して東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学します。
 卒業後は母校(芸大)で教鞭をとる一方、本郷の教会のオルガン奏者をつとめ、63歳で亡くなるまで40年以上も、日曜日には休むことなく教会で礼拝のオルガンを弾き続け、礼拝や聖歌隊の指導等を続けたそうです。また小学唱歌教科書の編集委員として、唱歌の作曲を数多く手がけました。
 明治43年の芸大助教授時代に作曲した、この 「ふるさと」 は、賛美歌のメロディからヒントを得たのだそうです。
 作詞者、高野辰之は明治9年に長野県の寒村、豊田村で生まれた国文学者です。苦学の上、東京音楽学校で学び、卒業後は教授として講義しました。「ふるさと」 は、高野の故郷・信州の風景を描いたものだといわれています。
 聖書の中にも 「ふるさと」 という言葉が出てきます。
しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。
(ヘブル人への手紙11:16)

 普通 「ふるさと」 とは自分の生まれたところであり、自分の過ぎ去った過去を思い起こさせるところであり、「振り返るところ」 です。
 しかし、クリスチャンにとっての 「故郷」 すなわち 「天のふるさと」 は、前方にあり、未来にあり、私たちが 「見上げるところ」 のものです。そこは、父なる神様が私たちを待っていてくださるところです。
 何と素晴らしい恵みであり特権でしょう

 この素晴らしいコンサートを終えた今、
けれども、あなたは聖であられ、
イスラエルの賛美を住まいとしておられます。

(詩篇22:3)

 私の中には、この聖書の御言葉がリフレインしています。
 聖書の中に出てくる「イスラエル」は「人間」のひな形。神がすべての人の救いをイエス・キリストによって成就するために選ばれたモデルがイスラエル民族なんですね。日本人には関係ないなんて思わないでください。
 ですから「イスラエル」を「私たち」に読み替えて受け取って欲しいと思います。

 それが演歌であれブラックゴスペルであれ、神を心からあがめ賛美する所は、神の住まい。神の住まいには神の霊である聖霊が満ちるのです

 聖霊は人の心に触れて、イエスが救い主であることを悟らせます。(1コリント12:3)
 聖霊は神の民の中に宿られます。(1コリント3:16)
 聖霊は神の民を導き、礼拝の心を起こさせます。(ピリピ3:3)
 聖霊は神の民に証しの力を与えます。(使徒1:8)
 聖霊は神の言葉が教えていることを理解し、識別できるようにします。(1コリント2:12)
 聖霊は神の民の死ぬべき体をよみがえらせます。(ローマ8:11)

Hallelujah

クリックお願いします(^^)/ ⇒にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 4
ナイス ナイス
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
賛美の上に住まわれる方 〜演歌フレンズコンサート〜 Tama’s ゴスペラー日記/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる