Tama’s ゴスペラー日記

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zoom RSS 家族同様のペットは死んだらどうなるの?

<<   作成日時 : 2011/07/30 19:59   >>

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 一部の方には有名なようですが、我が家にはグレイスというワン公がおります。この秋で11歳を迎えるラブラドールレトリバーの♀。
 性格は温厚にして臆病。だけど人懐っこい。まったく番犬には適さない超いいワン公です
 家の中で自由に放していますので、昼間家族が出払っていてものんびりゴロゴロして留守番してくれてます。また夜は好きな家族のベッドにもぐりこんで寝るというとても自由な日々。完全に家族の一員と言えます。
 言葉もほとんど理解しているのに彼女はしゃべれませんから、家族の愚痴や問いかけに黙って寄り添ってくれることになるわけで、本当にこれが私たちの癒しになっています。
 彼女は私たちにとってかけがえのない存在となっています。
 ただこいつも人間の年で言うと70歳を超える高齢犬で、いつ召されてもおかしくない年齢。今はすこぶる元気ですが、数年のうちに家族の中からいなくなってしまうことも覚悟しておかなければなりません

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 私たちのようにペットが家族の欠かせない一員となっている方は多いですよね。
 そこで今日はペット(動物)たちが死んだらどうなってしまうのか、聖書の中から考えてみたいと思います。少々長い解説になりますがお付き合いくださいm(__)m

 まず動物も植物も人間も宇宙もすべてが神によって造られたということを私たちは知る必要があります(創世記1:1〜2:4)。
 その中で
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち神のかたちに創造し、男と女に創造された。
(1:27)

 とあります。
 神はすべてのものを創造されましたが、人間だけご自分に似せて造られたということがわかります。
 聖書は更に人間の創造について深く掘り下げています。
主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹き入れられた。そこで人は生きた者となった。
(2:7)

 その「息」というのは、ヘブル語では「ルーアハ」といいます。
 実は、この「ルーアハ」という言葉は、「息」という意味であると同時に、また「霊」(それに「風」)という意味をも併せ持っているのです。「神の霊が水のおもてを覆っていた・・・」(創世記1:2)のという箇所に見られる「神の霊」にも、この「ルーアハ」という言葉が使われているのです。
 
 人間は神の霊を吹き入れられて生きた者となったという事実は非常に重要な事柄です。人間は霊的な存在。だから被造物の中で唯一神とコミュニケーションを取る事が出来るのです。
 クリスチャンであるなしに関わらず人が何かを礼拝したくなる。いわゆる宗教心を持っているのは、この創造の奥義によるわけですね。
 世界中で祈る・拝むという行為をするのは人間だけ。
 犬や猫や猿が宗教的な行動をするなんて聞いたことがないですよね?礼拝と言う行為は人間の特権なのです。
 聖書では礼拝について明確に述べています。
神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝するべきである。   (ヨハネによる福音書4:24)

 イエス・キリストはこのように、「異教的礼拝」「儀式的な礼拝」「魔術的な礼拝」ではなく、創造者である真の神に「神だけを思う心」をもって礼拝することを求めておられます。

 真の神を神として認めずに礼拝しないことは、神の目から見ると「的外れ」ということになります。
 神はご自身と唯一交わることの出来る存在として、その愛の対象として人間を創造したにも拘らず、人間がそっぽを向き自己実現のためにあくせくしている・・・ 双方のベクトルが交わらないわけですね。
 聖書ではこれを「罪」と言っています。

 神は全く聖い方なので、「罪」のある者と交わることは出来ません。
 でも人間を愛してやまないので、この断絶を埋めるための唯一の方法として全く罪のない神の御子イエス・キリストを人として遣わし、人間の罪の身代わりとして彼に十字架の受難を負わせたのです。
 本来は私たち人間が受けなければならない裁きを彼が受けて下さった。それだけでなく、死に打ち勝って3日目に甦ってくださいました。
 そして、私たちが彼を信じる信仰によって神は私たちとの交わりを回復してくださり、永遠の神の御国でイエス・キリストが甦ってくださったように永遠に生きる者としてくださる・・・
 これがクリスチャンの信仰です。

 ここまで非常に長々と説明をしてきましたが、本題であるペット(動物)の死後はどうなるのか?まとめて考察しますと、

1.動物は霊的存在ではない

2.動物は神を礼拝することが出来ない

3.動物は罪を持ちえない

4.動物は裁かれない


 ということが言えますね。
 更に加えるなら
神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、増えよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ。」             (創世記1:27)

 とありますから、人間が神から委任されて治める対象として動物が創造されたことが伺えます。
 また神はノアに方舟を造るように命じ、ノアと家族以外に動物たちを方舟に乗せるように命じました(創世記7:1〜3)。
 これらのことから、神は動物たちを大事に考えておられることがわかります。
 だから私たちがペットに愛情を注ぐことは聖書的に理にかなっているのだと思います。

 以上のことから、家族の一員のようなグレイスや、ウチにいるウサギ君(ぴょん太

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 も死後裁かれて苦しむことはない もちろん皆さんが飼っているペット君たちもです。
 ただ永遠の命が与えられて、天の御国で再会できるか・・・となると何とも言えません。それは私たちが御国に行ってから、神に伺いましょう
 しかしいずれにせよ、私たちが本心に立ち返って赦され、約束される天の御国は
「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。」       (ヨハネの黙示録21:3〜4)
                          
という場所であり、
御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊の御座から出て、都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。
のろわれるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。
           (ヨハネの黙示録22:1〜4)
  
と言う場所です。おお 何と素晴らしい約束でしょう
 だからペットに会えるか会えないかを心配する必要はまったくないんじゃないかな。

 今この世で生かされている中で、グレ公(グレイス)やウサ公を創造し我が家族に加えて下さった神にただ感謝をささげます  
           
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
久しぶりにおじゃましました
「神が私の口をふさぐまで」にも感動しましたが…
8月14日(日)の夜、我が家の愛犬が死にました
14年前のクリスマス記念礼拝の夜、動物に興味を示すこと自体、「えっ!」というような長男に拾われて我が家にやってきました
次男、三男が荒れていた時期でとても苦しい時にまるで神様のプレゼントのように我が家に来て、私たち家族を慰めてくれました
彼女は天使のようでした
来たのも聖日の夜、逝ったのも聖日の夜でした
愛犬マルとの日々にただただ感謝のきもちでいっぱいです
玉さんの活躍が神様に祝福されている事をおもいながらコメントさせていただきました
くんこ(MiXi)
2011/08/18 08:51
>くんこさん
ありがとうございます
犬は私と家族にとっても大事なパートナーです。
まさに神様が人間のために与えて下さった被造物だなぁとつくずく思います。
マルちゃんの思い出を大事にしてくださいね。
慰めと平安を。
たま
2011/08/18 23:32

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