Tama’s ゴスペラー日記

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zoom RSS ゴスペルクワイヤーのディレクターとリーダーに今必要なこと

<<   作成日時 : 2011/07/05 01:06   >>

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 ゴスペルミニストリーに関わるようになって9年を経て、今新たなページが開かれつつあると日々感じています。
 私のゴスペル歴が9年と言うことは、10年とか、それに近い年月ゴスペルを歌い続けている人もどんどん増えているわけです。
 その結果、ゴスペルを通じてクリスチャンになった人も年々増え続け、オールクリスチャンのマスクワイヤーで日本語ゴスペルアルバムを作成するプロジェクト・Gospel Praiseが去年、Meg&Koji夫妻によって立ち上がり、私もそれに参加しています。
 今年もGospel Praise 2 を作成するために「ゴスペル礼拝」が5月から毎月1回行われており、6月の礼拝にも大きな恵みと祝福が降り注ぎました。

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 本来ならばゴスペルはクリスチャンが歌う賛美ですが、日本ではブラックミュージックのひとつとして音楽ジャンルとして受け入れられてきたため、それまではクリスチャンよりもノンクリスチャンのゴスペル人口が多かったのです。
 それがゴスペル経由でクリスチャンになった人が増えて行ったために、全国から約70名ものクリスチャン・ゴスペラーが集まってこのような礼拝が、アルバムが出せるようになったというわけ。
 まさに「継続は力なり。」

 クワイヤーとして賛美しながら、礼拝に来ている会衆を見ていると、ゴスペルが好きだから聴きに来た、という風情ではなく、「礼拝に来た」というクリスチャンが大多数を占めているのがわかりました。
 明らかに「潮目が変わった」感がありましたね。

 一方一般社会の中では、ゴスペルが一過性のブームで終わらずに、継続的なものとして日本の音楽文化の中で市民権を得たと言ってもいいでしょう。
 その表れとして我が社で会社公認の部活動としてゴスペルクラブが誕生しましたし、仕事の取引先の人との雑談の中でゴスペルの話をしても何の違和感もなく通じます。
 そしてそれは「楽しそうな歌」で、「すっきりして気持ちよさそう」で、「かっこいい」というとらえ方をしてくれています。
 中には「宗教」に対して警戒感を持っている人もいますが、会社のゴスペルクラブを例に出すと、ゴスペルはすべてが讃美歌であることを説明し、本物のゴスペルを歌うには祈りで始まって祈りで終わることがごく自然なことなのだ・・・ と言うとみんなすんなり納得して祈りに付き合ってくれるんですよね。

 ICGCを例に出すと、HPで「本来のゴスペルスタイルで、祈りやバイブルメッセージがある」ことを明示しているせいか、「教室ではない本物のゴスペルを体験してみたい」という方が見学に来てくれ、入会してくれます。

 また最近中央福音教会のメンバーになったユタカなどは、もともと音楽としての二グロスピリチュアルに始まり、かなりディープなオールドゴスペルオタクだったんですが、ゴスペルクワイヤーの活動によってJESUSを信じ、救われました。
 そして、かつての自分のように音楽としてしかゴスペルを考えていない教室・サークル系のゴスペルクワイヤーメンバーの救いのために立ち上がり、歌詞の内容を聖書的に説明したり、練習の中で祈りを取り入れたり、教会系クワイヤーとサークル系クワイヤーの合同イベントを企画したり、と、新たなアクションを起こし始めています。

 更には長年いろいろなクワイヤーやイベントに必ず参加し、「ゴスペルは交流が広がるのが一番の楽しみ」だけど、聖書だとか祈りだとかは苦手・・・のような人が、JESUSを心から信じ受け入れ、礼拝に行きたい、聖書を学びたい・・・ という風に変えられていくケースがいろいろなところで起こっています。

 これらのことを見て来ると、今こそ聖書の啓示真理とそれに基づいた正しい教会観、礼拝観を伝える牧師・伝道者が、ゴスペルクワイヤーに求められていると強く感じます。

 ゴスペルで救われたクリスチャンの中には、ゴスペルが礼拝で賛美に取り入れられていないと礼拝がつまらない・・・ となり、自分の思い描く教会を求めて教会ジプシーになってしまったり、教会にはクワイヤーリハにしか顔を出さなくなったりするケースを非常に多く見聞きします。
 それって主がとても悲しまれることだと思うのです。
 信仰告白をしたのに、神からのラブレターである聖書は読んでくれない。キリストの体である教会に属さない・・・。それは聖書の啓示真理とそれに基づいた正しい教会観、礼拝観をちゃんと教えてもらっていないからじゃないでしょうか。

 もちろんノンクリスチャンゴスペラーにとっても聖書の啓示真理とそれに基づいた正しい教会観、礼拝観を最初からわかりやすく伝えてくれる存在は不可欠です。
 自分たちが何を歌っているのか正しく理解して歌う。それって至極当たり前のことですから、内容をちゃんと教えてくれたら嬉しいですよね。

 ユタカのようなビジョンを与えられた人にも聖書の啓示真理とそれに基づいた正しい教会観、礼拝観が必要です。
 事実彼は、教会の敷居が高く感じられて寄って来ないような人たちに福音を伝えたくてウズウズしています。だから彼の内側には「聖書を正しく、深く知りたいとの思いが湧き上がり、教会の諸集会に熱心に集っています。

 ゴスペルは私たちが、JESUSの贖いによって永遠の命を得るためのきっかけを与えてくれるツールです。しかし、ツールだけ持っていても使い方をちゃんと理解し正しく用いなければ意味がないのです。
 聖書の中にJESUSがして下さった天国についてのたとえ話があります。
そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出ていくのに似ている。
その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。思慮の浅い者たちは、あかりを持っていたが、油を用意していなかった。しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。
 花婿のくるのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。夜中に『さあ、花婿だ。迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。
 ところが、思慮浅い女たちが、思慮深い女達に言った。『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていきすから』。
すると、思慮深い女たちは答えていった、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。
 彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたをしらない』と言った。
 だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。
(マタイによる福音書25:1〜13)

 ここで語られている「油」こそが聖書真理なのです。言い換えるならば「イエス・キリストを神の子・救い主と信じる信仰」です。
 また聖書で「油」「聖霊」を指しています。
そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。
(コリント人への第1の手紙12:3)

 ゴスペラーひとりひとりに聖霊が注がれて、JESUSこそ神の子・救い主であると信じるようにならなければ、地上での歩みを終えて神の御前に立った時、『はっきり言うが、わたしはあなたがたをしらない』と言われてしまうのです。

 ですから、ゴスペルクワイヤーのディレクターとリーダーは魂に対して大きな責任を負っていると言えます。
 まずは自分自身が、クリスチャンとして聖書を学び教会生活、特に礼拝に重きを置いているか。
 その上で、福音をクワイヤーメンバーに大胆に伝えているか。


 日本に蒔かれたゴスペルの種は成長し、神はこれから実を実らせようとしておられます。

 いよいよ日本のゴスペルミニストリーは、このことを問い直す時期が来たのではないでしょうか。

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