Tama’s ゴスペラー日記

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zoom RSS 自分のルーツに隠された愛と恵み

<<   作成日時 : 2011/06/07 00:54   >>

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 少し前の話になるのですが、7年前に亡くなった叔母(母の妹)の法事が愛知県であり、それに母が一人で行きたがっているという話を耳にしました。
 母は最近加齢による衰えが進んできて、埼玉の東松山から愛知の一宮まで電車を乗り継いで行くのはキツイだろうと父は心配していましたが、実家は飲食店を経営しており法事のある土曜日は休めない。母自身は衰えている認識がなく、何でも気丈にバリバリやって生きてきた人だから一人で大丈夫と言って聞かない・・・

 私は今までそんな強気の母であることをいいことにこちらから連絡することもなく、年に数回実家に行く程度でほぼ放置状態だったことを深く反省させられました。
 これは俺が行かなきゃ誰が行くんだ!と会社を1日休んで同行することにしました。最初は年寄り扱いをされることを警戒していた母も

「叔母さんのお葬式には仕事で参列できなかったから、今回は行きたいんだ。」

 と言ったら納得し、母にとって日帰りはキツイので1泊2日、初めての母子2人旅が実現したのです。
 当日は健在である叔父宅に行けばいいだけで急ぐわけでもないし、せめてもの親孝行のつもりで、こだま号のグリーン車に普通車よりも安く乗れる格安プラン「ぷらっと こだま」を購入。

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 静かでゆったりした車内はほとんど貸切状態。
 弁当を食べながらよもやま話をしているうちに爆睡してしまい、約3時間かけて名古屋へ。東海道線の快速に乗り継いで尾張一宮に到着し、迎えに来てくれた叔父の車で20年ぶりくらいに叔父宅へお邪魔しました。

 叔父と会ったのも同じく20年ぶりくらいでしたし、ここには2人姉妹のいとこがおり、ひとりはとっくに嫁ぎ翌日の法事に来るとのことでしたが、妹のほうは35歳で独身。彼女とは私の結婚式以来の再会で24年ぶり 前会った時向こうは子供だったもんなぁ・・・

 その夜は近くのレストランで4人で食事をし、いろいろな思い出話に花が咲きました。
 会話の中では今まで心の奥で埃をかぶっていたような叔母と叔父の記憶が思い起こされてね。

 私が生まれたばかりのころ、日暮里の線路際に住んでいて、叔母は一番年の近い姉妹である母を頼って故郷の宮崎から近所に越してきていたので、子守がてらに私をおぶって電車を見に連れて行ってくれてた・・・ 
 この話を小学生くらいの頃よく母から、また叔母自身の口から聞かされていたものでした。それがきっかけで中学生くらいまではかなりの鉄道ファンでしたものね。
 また叔父と結婚してからもよく叔母は遊びに来てくれて、「圭吾君、圭吾君。」と言ってすごく可愛がってもらったなぁ・・・。
 叔父もいい人で、名古屋から東京に出張で出てくると我が家に必ず泊まるんですが、その頃大好きだった巨人の長嶋選手の本だとか、お菓子だとかお土産をたくさんくれてね。
 そんな記憶が次々に甦って泣きそうになってしまいました。

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              (叔父と2人のいとこ)

 さて翌日の法事にはもうひとりのいとこを始め、叔父方の見知らぬ親戚の方々がたくさん集まって来て、浄土真宗大谷派の本格的な七回忌法要を実地体験。
 叔父は長男で、この地方の風習を親から引き継ぎ、それに忠実にのっとって法事をセッティングしていると言っていました。うーん。
 私は末席に座って僧侶の話す言葉に耳を傾け、配られた経本に何が書いてあるのか興味深く読み、焼香の鉢が回ってきた時には親戚一同のとりなしの祈りを心のうちで祈り、日本を取り巻く霊的な暗闇に暗澹としつつも

「日本人の生活の中にこうやって仏教の影響が植えつけられていくんだなぁ」

 と、今後のミニストリーを進めていく上すごくでいい実習になったなー、と心底思いましたね。
 何せ私の育った環境は小学校に入るまで無宗教。小学校がミッションスクールで、そこで聖書に出会わされ聖書の価値観の中で教育を受け、小学校5年で今の中央福音教会に通い始める・・・ という一般的日本人にはほとんどあり得ない素晴らしい環境なのですよ。

 ところで参列者の中に母が前日からうわごとのようにずっと「会いたい、会いたい」と話していた、ゆき子さんという方がいました。
 母は自分のいとこだ、と言い、「お前もよく知ってるはず」と言いますが、私にはゆき子さんが誰なのかまったく思い出せなかったのです。
 
「あら、圭吾ちゃん?大きくなって〜
 
 それがゆき子さんの第一声でした。
 来月48にもなろうかというオヤジを捕まえて、ですよ

 しかし、その瞬間、電光のように記憶が甦った

 私が小学生だった頃、両親は都内で小料理屋をやっており、夕方出かけて朝帰ってくるという生活でした。でも私と4つ違いの妹だけを残してというわけにはいきません。
 その頃ちょうど年の離れた母のいとこであった2人姉妹が、先ほど書いた叔母同様、中学を出て宮崎から母を頼りに上京して来てたんですね。その妹のほうがゆき子さんでした。もうひとり姉が久子さんと言ったなぁ。
 母はこの姉妹の面倒を見る代わりに、私たち幼い兄妹の子守で家に泊まらせていたというわけだったのです。
 今から40年も前の話ですよ。
 あの頃、「ゆき子姉ちゃん」って呼んで遊んでもらっていた。確かに

 小学校低学年だった私は夜9時には寝なきゃいけない約束でした。
 巨人の長嶋選手が大好きだった私はナイター中継を必ず見ていたんですが、その頃のナイター中継は8時から9時半で、中継の途中で寝室に行かなきゃいけないんですよ。そんな決まりを忠実に守っていたんだから可愛いですね(笑)。
 後ろ髪を引かれる思いで寝室に行く時、ゆき子姉ちゃん

「長嶋がホームラン打ったら絶対に起こしてね 約束だよ

 あれからまったく思い出すことのなかった記憶が鮮やかに甦ってきて、ホントに泣きそうになってしまいました。

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               【母とゆき子さん(右)】

 この時つくずく思ったんです。
 
 私は愛されていたんだって。

 両親が大事にしてくれた。
 だから久子さん、ゆき子さんが来てくれた。
 久子さん、ゆき子さんにも可愛がってもらった。楽しい思い出しか浮かんでこないんですから。あの頃は休みの度に両親、久子さんゆきこさん、私と妹でハイキングに行ったり梨狩りに行ったりしたな〜
 叔母にも叔父にも可愛がってもらった。その2人の笑顔しか浮かんできません。

 こういう人たちの愛情があったからこそ、私の心には大きな傷がなく、すごく素直に福音を受け入れて一度も神から離れずに歩んでこれたんだ―

 そのことに初めて気付かされたのです。
 何という神の選び。そして憐れみでしょうか。

「圭吾君が来てくれたんで、多恵子(叔母)も喜んどると思うわ。ホント来てくれてありがとうね。」

 叔父は別れ際に心からそう言ってくれました。
 嬉しかった。でも福音を伝えなきゃいかん、と切実に思いました。

 あの優しかった叔母の魂は今どうしているのか。それは主の御手の中にあるとしか言えませんし、明確な救いを宣言することは出来ません・・・

 みんな私がクリスチャンであることは知ってくれています。でもどうしたら真の神のこと、真の救いのことをちゃんと心に届くように伝えられのでしょうか・・・。
 
 まずは一番身近な母を愛すること。そこからだろうと思います。
 
 60代前半で亡くなってしまった妹の遺影に会い、ゆき子さんとの再会を果たし、息子に荷物を持ってもらって一緒に旅ができた母はとても嬉しそうでしたもの・・・。


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