Tama’s ゴスペラー日記

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zoom RSS エパフラスの信仰

<<   作成日時 : 2011/01/18 01:47   >>

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 昨日の礼拝はメッセージの途中から涙があふれて止まりませんでした。
 この愛は、あなたがたのために天にたくわえられている望みに基づくものであり、その望みについては、あなたがたはすでに、あなたがたのところまで伝えられた福音の真理の言葉によって聞いている。そして、この福音は、世界中いたる所でそうであるように、あなたがたのところでも、これを聞いて神の恵みを知ったとき以来、実を結んで成長しているのである。あなたがたはこの福音を、わたしたちと同じ僕である、愛するエパフラスから学んだのであった。彼はあなたがたのためにキリストの忠実な奉仕者であって、あなたがたが御霊によっていだいている愛を、わたしたちに知らせてくれたのである。     
    (コロサイ人への手紙1:5〜8)

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 私はクリスチャン生活32年になりますが、恥ずかしい話、ここに記されている「エパフラス」という人の事をまったくと言っていいほど意識したことはありませんでした。
 読み飛ばしていた、と言っていいでしょう。

 この日のメッセージは、今年教会としてコロサイ書をテキストに学んでいくにあたり、その手紙が書かれた背景について牧師が取り次いでくれたものでした。

 コロサイの町は現在のトルコの一部にあり、紀元前4世紀から5世紀ごろは当時の政治と商業の中心地でした。しかしローマの時代には衰退し小さな町となりました。
 パウロがコロサイで伝道したという記事は使徒行伝には記されていません。おそらくパウロは第3回の伝道旅行でエペソに滞在していた3年間に、エパフラスがパウロの伝える福音を聞き信仰に入ったのではないかと思われています。
 エペソからコロサイは約160km離れていました。エパフラスはエペソを出てコロサイでパウロから教えられた福音を伝えたのです。その結果コロサイの街に教会が建てられたのです。

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 パウロは生粋のユダヤ教徒で、イエス・キリストの教えを断固として認めず、クリスチャンを迫害していた首謀者でした。
 そんなパウロがダマスコへの途上で復活のイエス・キリストに出会い、劇的な改心をし、彼の人生が180度変えられたことはご存知の人も多いでしょう。
 イエス・キリストの福音をあらゆる地域のあらゆる人々に伝えるという彼の情熱が、多くの人の人生を変えましたが、そのひとりがこのエパフラスだったというわけです。
 しかし当時はしっかりとした教会論・神学が確立されていなかったので、教会に偏ったユダヤ教的な教え、あるいは金欲主義、ギリシヤの思弁的哲学が入りこんできたのです。また天使礼拝が行われていたともコロサイ書には記されています(2:18)。

 そこでエパフラスはパウロに助けを求めエペソへ訪ねて行きますが、パウロはすでにローマへと護送されて獄中にいたのでした。
 コロサイからエペソまでは前述の通り160km。この距離だけでも当時の旅行は徒歩ですから大変。しかし彼は更に2000kmの距離にあるローマまで船と徒歩で行く事を選択します。暴風雨による難破の危険、海賊に合う危険など全く意に介さず、真理のために命を賭して。
 何とかローマに着いた彼はパウロを探し当てますが、当然パウロの弟子ですからローマの官憲に捕らえられてしまい、自らも獄につながれてしまいました。
キリスト・イエスにあって、わたしと共に捕らわれの身になっているエパフラスから、あなたによろしく。             (ピレモンへの手紙23節)

 そのように記述されている通りです。

 コロサイ書は、訪ねて来たエパフラスからコロサイ教会の現状を聞いたパウロが、自分の子のように愛し行動を共にしていた弟子・テモテにその大部分を口述筆記させて書かれた書簡なんですね。
 たった4章の短い手紙の背景には、こんな劇的な事実があったとは・・・

 佐布先生はここまで語られると、ご自身が建てられた3つの教会についてお証しをされました。

 第二次世界大戦直前にイギリスからやって来たDという宣教師が、品川区で開拓伝道をしておられました。しかし戦争が始まり、敵国宗教であるキリスト教への弾圧が始まって、宣教師は品川区内の荏原に拘留され、強制送還になってしまったそうです。
 やがて戦争が終わり、この宣教師は日本に重荷を負っていたのですぐに再来日し、川崎に教会を建て伝道を再開したんですね。そこにもう一人Dという宣教師がやって来て、どこで伝道したらいいか先輩の宣教師に相談して来ました。先輩の宣教師は自分が拘留されてひどい扱いを受けた荏原にぜひ教会を!と言ったそうです。
 それを真に受けたD宣教師が日本人の通訳として招いたのが、若き日の佐布先生だったのです。

 そこでD宣教師と佐布師は荏原の焼け野原のお風呂屋さんの跡地に白羽の矢を立て、まさに手作業で肥溜めの中身を素手ですくい出しながら教会建築をされたんだそうです。
 それが現在の「品川ベテル教会」です。
 更に後に牧師婦人となられる、とし子師が建てられたばかりの「武蔵野キリスト教会」に移り、幼稚園伝道を始めて間もないとし子師を支えながら教会の基盤を作っていかれました。
 そして日本人へ福音を伝えるにはもっと聖書を学ばなければならない と聖霊に導かれ、まだ日本人の海外渡航が自由でなかった昭和30年代半ばにアメリカの「フラー神学大学校」へと旅立つのです。
 そこでの学びを終えた佐布師は、無牧で誰も管理する人がいない伝道センター(伝道館)を任されることになりました。これが今から50年前、中央福音教会の前身です。やがてほどなく東池袋3丁目に移転して現在私たちが礼拝し、ゴスペルをガンガン賛美している会堂が建てられ、山手線の内側に立地する唯一のアッセンブリー教会として福音を語り続けている・・・

 エパフラスは真理のために2000km以上の行程を走り、佐布師は5000kmの太平洋を横断し福音を学びました。
 それは単純に比較できるものではありませんが、
「神がひとり子であるイエス・キリストをこの世に遣わし、全人類の罪の代価としての十字架の受難と死、そこからの復活を成し遂げてくださった」
 このことによってペテロを始めとする使徒たち、そしてパウロによってこの福音が世界に宣べ伝えられ、エパフラスのような「キリストの忠実な奉仕者」(1:7)が起こされた。
 その延長線上で、戦争でずたずたになった日本に降り立つ宣教師が起こされ、佐布師が立たせられ用いられ、中央福音教会が建ち、私がそこで救われた・・・
 神の計り知れない愛のご計画とご配慮。こんな感激、感動は他にないじゃないですか
 あなたがたのうちのひとり、キリスト・イエスの僕エパフラスから、よろしく。彼はいつも、祈りのうちであなたがたを覚え、あなたがたが全き人となり、神の御旨をことごとく確信して立つようにと、熱心に祈っている。わたしは、彼があなたがたのため、またラオデキヤとヒエラポリスの人のために、ひじょうに心労していることを、証言する。                (コロサイ人への手紙4:12〜13)

 エパフラスは真理を求めて知ることだけでなく、人のために祈り、助ける人であった事がこの箇所から読み取れます。
 私が接してきた佐布師もまさにそのような人です。

 ここまでお読み頂き、私の涙が止まらなかった理由をお分かりいただけたでしょうか。

 佐布師は数日前に傘寿(80歳)を迎えられました。
 その信仰は年を重ねるごとに更に熱く、聖書真理を解き明かされるメッセージはますます冴え渡っています。しかし肉体は日々衰え劣化していきます。いつか必ず天の御国へ凱旋する時がやって来ます。
 それまでの限られた時間、私はのんびりと恵みを受ける側だけに立っているわけにはいきません。

 まさにエパフラスのように。
 佐布師のように。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
Midoriです
あけましておめでとうございます(●´ω`●)今年初めてのコメントです^^『フラー神学大学』は,すっごくゆうめいな学校ですが,あの時代に行った日本人の先生は,本当に偉大な先生だと思います私達も,恵みを沢山貰える様,今年も賛美しましょう><
碧@loveJESUS
2011/01/18 12:21
>碧ちゃん
とにかく時代を切り開いた信仰の先人たちはすごいよね。
私たちクリスチャンは,真の礼拝者として常に主に従って生きたいね。
たま
2011/01/19 01:08

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