Tama’s ゴスペラー日記

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zoom RSS 教会は「キリストのからだ」

<<   作成日時 : 2010/09/20 15:03   >>

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そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。      (エペソ人への手紙1:22〜23)

 最近我が中央福音教会で取り次がれるメッセージの主題です。
 まさに「教会とは何か」がここにあります。
 クリスチャンは神の不思議な御業により、それぞれが異なった方法でキリストに出会い、キリストを信じる者とされました。
 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。                (ヨハネによる福音書15:16)

 昨日の日曜日の第2礼拝は、私がどのようにキリストに出会い、今を生きているのかをお話させてもらいました。クリスチャン用語では「証し」と言います。

 それを依頼されてから、あらためて自らの人生を紐解いてみるとまさに神が、私の生まれる前から目を留めてくださり、守り導き育んで下さっているのが痛いほどわかりました。
 神はノンクリスチャンの両親の生い立ちの上に深く介入され、その延長線上で11歳の時に私はこの教会に導かれました。それ以来、キリストご自身をかしらとした神の共同体に加えられ、ゴスペルミニストリーなど今の働きを許されるに至りました。
 その辺の詳しい経緯についてはまた機会をみてブログにも書こうと思います。

 前後をしますが、朝の礼拝には心の病で苦しむICGCの姉妹が久し振りに来てくれました そしてどんなに辛くて家で寝込んでいる時にも祈る事を欠かさず、絶対に神が引き上げてくださる、喜びの砦は絶対に奪われない確信がある、と話してくれました。
 もちろんそれはその日の彼女のコンディションが良かったから言えたことなのかもしれません。それでも彼女がキリストに望みを置いている事に間違いはありません。
聖書にこう書いてある、「みよ、わたしはシオンに、選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それにより頼む者は、決して、失望に終わることがない」。      (ペテロの第1の手紙2:6)

 彼女と共に祈りました。祈った後、彼女は輝いた顔になって主をほめたたえました。 ハレルヤ

 また先日のクリストファーサン国際大会で信仰告白をした姉妹が、初めて朝の礼拝にも来てくれました。大会以降第2礼拝やICGCには来ていましたが、いよいよメインの礼拝に自分の意志で来てくれ、しかもみんなで昼食を共にし、第2礼拝も出席しました。
 孤独と戦ってきた彼女には、神の家族である「エクレシア」=共同体=教会に属する必要がありますから、それをずっと祈っていました。
 まだ戦いの中にありますが、最良のカウンセラーであるキリストをかしらとした教会は、神の良き働きと力が満ち満ちている場所ですから、昨日一日教会で過ごせたことは私にとっても大きな喜びでした

 そして礼拝の最後に献児式がありました。
 献児式とは、生まれたばかりの赤ちゃんの祝福を神に祈り、健やかな成長と神と歩む人生を送るように願うものです。カトリックの幼児洗礼とは全く違います。
 この日は私と共に教会役員をされているK兄弟の長女I姉妹に授かった双子の女の子の献児式。

画像


 8月上旬に生まれたばかりで、赤ちゃん中の赤ちゃん。ホントにちっちゃい。一卵性双生児だから母親でさえまだよく区別がつかないっていうくらい似てました。
 それはそうと、母親のIちゃんはICGC創設メンバーで、クリスチャンホームで育ったある意味純粋培養クリスチャンなんですけど、色々すったもんだがあった末にノンクリスチャンの彼と駆け落ちのような形で結婚。今も結構苦労はしていますが、ご両親の愛情、幼い時から育まれている聖書の教えが支えになって主と共に生きる素晴らしさを実感しているよう。
 そんなことを思い巡らしていたら、思わず涙が・・・ 子供だったIちゃんがすでに授かっている2歳の長男を含めて3児の母。心から神の御守りを祈りたいと思いました。

 昨日1日の教会での出来事を思い出すと、冒頭の御言葉のように、教会はキリストのからだであり、私たちはその構成員なんだなぁ・・・と実感します。
 そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。     (エペソ人への手紙2:19)

それは今、天上にあるもろもろの支配や権威が、教会をとおして、神の多種多様な知恵を知るに至るためであって、わたしたちの主イエス・キリストにあって実現された神の永遠の目的にそうものである。この主キリストにあって、わたしたちは、彼に対する信仰によって、確信をもって大胆に神に近づくことができるのである。                   (エペソ人への手紙3:10〜12)

 肉の家族はいつかは終わりが来ます。しかし神の家族は永遠です。

 主の御名をあがめます。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
まずは、お詫び…。
午前中で、黙って帰ったこと、
たまさんの証しを拝聴しなかったこと、
大変失礼いたしました。
1日教会にいることが、まだまだ疲れてしまう
のですわ。雰囲気に圧倒されるというか。

「キリストのからだ」の一部とは、まだ
なれないようです。。。
しかし、今月の私の目標「礼拝に出る」ことによって、
近づいているのかな?
はるみん
2010/09/20 22:26
>はるみん
いいのいいの。
キリストというぶどうの木につながっていることが大事だから。
自分なりのゆったりとした歩みで、ただ主だけを見上げて歩けばいい。周りのことは横に置いといて。
たま
2010/09/21 15:43

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