Tama’s ゴスペラー日記

アクセスカウンタ

zoom RSS 真夏の洗礼式

<<   作成日時 : 2010/08/17 13:20   >>

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 2

 ゴスペルミニストリーを始めてから、それを通してJESUSに出会い、JESUSを信じる人生を選び取った人がたくさん起こされました。
 ひとりの魂が救われると、天にはすでに救われた99人にも優る喜びがあるといいますが(cf:ルカによる福音書15:7)、まさに神が喜び、神の家族でありキリストの体である教会に大きな祝福が注がれます。

 私の所属する中央福音教会では、聖書真理のみがメッセージで語られ、喜びに満ちた生き生きとした礼拝が毎週ささげられています。
 すると不思議なもので、毎週のように新しい人が導かれてくるようになりました。

 ゴスペルミニストリーを開始した当初は、新しい人が礼拝に来ることもあまりなく、またゴスペルクワイヤーにいかに人を集めるのか必死で、ましてやゴスペルクワイヤーから礼拝にメンバーを導くのはすごく大変なことでした。
 しかしひとりのメンバーが救われたことをきっかけに、徐々に教会役員のゴスペルに対する偏見が解かれて行き、一部の教会員はゴスペルミニストリーのために祈ってくれるようになりました。そして今や、教会をあげてこのミニストリーのために祈っています。
 その結果、ゴスペルクワイヤー・ICGCからクリスチャンが続々と誕生していった・・・ というのが1年位前までの状況です。

 しかしそれ以降、ゴスペルミニストリーとは関係ないところからも人が集められるようになってきたのです

 導かれた人の理由は、「近所に住んでいて、今まで気づかなかったのにある日ここに教会があることに気付き来てみた」とか、「インターネットで教会を探していて見つけた」とかなんですね。
 これらの人たちは、まず最初に礼拝にやって来て、礼拝に続けて出るようになって信仰告白に至る、というまさに救いの王道とも言うべき順番で導かれていくのです。
 驚くべき神の御業としか言いようがありません。

 おととい、8月15日。敗戦記念日の第2礼拝において、ゴスペルミニストリーとは直接関係のない3名の方の洗礼式が行われました

画像


 ひとりはクリスチャンホームの末っ子で小学6年生の女の子。
 両親と2人の兄、ひとりの姉が全部クリスチャンで、自分ひとりがまだということで1日も早く洗礼を受けたかったみたい 洗礼を受けた後の涙が初々しく、この気持ちを一生忘れないで欲しいって思いました。

 ひとりは2ヶ月ほど前に初めて教会に来た女性。最初に来た時に私がフォローしたんですが、「メッセージの内容がまったくわかりません。」と言いながらも、色々と質問をしてきたんですね。その後、伝道師の関口先生が中心にカウンセリングしてくださり、こんなに早く洗礼の決心をすることが出来たのです。私は不信仰ながら、彼女が今回の洗礼希望者だったとは思っていませんでした。あまりにも早くて

 そしてもう一人は、マンガ雑誌の編集をしていると言う若い男性。
 半年くらい前から突然礼拝に来だして、声をかけてもほとんど話さずすぐ帰っちゃうし、見た目も茶髪でいつもつまらなそうな顔をしてるもんだからあまりしつこく追っかけなかったんですよ。(あー これも不信仰の極み
 それでも続けて来てくれるものだから、断片的に話を聞いていくと、広島在住で遠距離恋愛の彼女がクリスチャンで、強力に伝道されているらしいことがわかりました。春頃には彼女も上京した際にウチの礼拝に出席し、こりゃホントに祈られてるなって感じました。洗礼式のためにこの日も彼女は広島から駆けつけて・・・ 彼女も感動の涙でしたね。

画像


 牧師の洗礼についてのメッセージは実に感動的。
 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。 
 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にもひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。
 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。
 キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことはなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。
(ローマ人への手紙6:3〜10)
  注:「バプテスマ」とは洗礼のこと。

 洗礼希望者は、講壇の下に備えられた洗礼水槽の中で全身水の中に沈められます。これは過去の神から離れて生きてきた自分が葬られることを意味します。
 またそれがJESUSの十字架の死の意味でもあります。
 JESUSは死に値する罪はおろか、どんな小さな罪もない神ですから、死ぬ必要などまったくないお方。しかしあえて人間の体を取られて最も苦しく惨めな死を経験されました。
 それは私たちの罪の身代わりにその刑罰を受けてくださったのです。

 全身水の中に沈められた後は一気に起こされます。
 これはJESUSの復活を意味します。
 彼は死なれましたが、3日目に肉体を伴い復活をされました。死からの勝利であります。
 JESUSを信じ、JESUSと共に歩む者は死に支配されないのです これがクリスチャンです。

 これってありえないでしょ

 すごいでしょ


 私は洗礼を受けて32年になろうとしていますが、洗礼を受けた当初も感動しましたけどね、年を重ねるごとに神がしてくださった驚くべき救いの方法に、感動が深まるのを感じますねぇ。

 同じ人生歩むなら、迷い苦しみ、行先のわからない旅を続けるんじゃなくて、明確な行先に向かって歩む人生を選び取った方がいいじゃないですか。
 だから私の人生、すっごく楽です。
 クリスチャンになっても、病気や事故や試練がなくなるわけじゃないですよ。でもJESUSを信じてさえいれば
 見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。 
(ヨハネの黙示録21:3〜4)

 というゴールに迎え入れられるんですから、いいじゃないですか。素晴らしいじゃないですか

 この真理は、あなたにも開かれているんですよ

クリック応援お願いします⇒にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
ナイス ナイス
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
真夏の洗礼…
いいな!とか、思った時点で、不信心ですねミ

(いやいや、自分の時だって、マーベラスな洗礼でしたよ!)

今回は、自分の都合を優先してしまい、参列できず、残念でしたが、また新たな兄弟姉妹の洗礼を楽しみに、したいと思いますニ
はるみん
2010/08/17 19:02
>はるみん
真夏の洗礼槽は確かに気持よさそうだった。
でも主はその人にとって最善の時を備えてくださるからね。
またICGCの中から新しい人生を送る決心をする人が起こされるはずだよ。祈り合っていこう
たま
2010/08/18 01:24

コメントする help

ニックネーム
本 文
真夏の洗礼式 Tama’s ゴスペラー日記/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる