Tama’s ゴスペラー日記

アクセスカウンタ

zoom RSS 酒が好きなクリスチャンへ

<<   作成日時 : 2010/05/29 22:03   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 8 / トラックバック 1 / コメント 18

 聖書のどこを読んでも「酒を飲むことは罪」とは書いていません。
 私の両親とも食べることと飲む事が好きな人たちでしたし、小学校からミッションスクールに通っていましたが、その学校の先生たちもよく飲みに行っていたと記憶しています。
 そんな環境で育ったので、私は酒に対し負のイメージは全く持っていませんでしたね。
 私がクリスチャンになったのは15歳の時でしたが、日常生活上のこと細かいことまで指導されるような教会ではないので、高校3年くらいになると特に何も考えずに自然に友達との付き合いで酒を飲むようになりました。
 大学に入ると飲む機会が急激に増え、コンパと称してドンチャン騒ぎは日常茶飯事でしたね−。それでも生まれつきの体質でアルコールには超強かったので、酔った勢いで喧嘩するとか、不品行を働くってことはありませんでした。単純に楽しく騒ぐ酒でしたね。

 社会に出てから、特に旅行会社に入ってからは、酒は大事なビジネスツールに変わっていきました。
 国内外の国・地域特有の料理とそれに合った酒を知ることは、観光地や宿泊施設の知識と共に旅行のセールスには強力な武器となるのです。
 また添乗に行ってお客様と一緒に一杯やる事によって距離が縮まり、次回の旅行の受注に繋がったり、他のお客様を紹介してもらったり、ということもありました。

 さらには労組の役員をやるようになると、全国にある職場の組合員とのコミュニケーション、他労組の人たちとの交流などでますます酒は欠かせないものとなって行きました。

 それでもクリスチャンとして仕事が重ならない限り礼拝に出席し、奉仕もし、神からの恵みも十二分に受けていると思っていました。
 そのような生活で何ら問題ないと思っていたんですよね。
酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。
(エペソ人への手紙5:18〜19)

 「酒を飲んではいけない」って聖書は言ってない。
 それに自分はどんなに飲んでも酔わない。乱行もしない。ハレルヤ!そういう体質に造ってくださった主に感謝します!
 
 本当に心からそう思っていたんですよ。

 教会のゴスペルミニストリーも私が旅行の営業をバリバリやっていたことがきっかけのひとつとなって起こされましたからね。
 今も日本のゴスペル先駆者の一人として素晴らしい働きをしておられるMeg&Kojiさん率いるTVOPのゴスペルコンサートを中央福音教会で開催したことが私が生のゴスペルに出会った最初であり、そのことからMegさんの主催するEdwin Hawkinsのゴスペルカンファレンス・Music&Artsに添乗員として参加し、魂が根底から揺さぶられる体験をしました。

画像

             (2002年 Music&Artsでエドウィンと)

 そして「池袋にゴスペルクワイヤーを与えてくださいという願いが起こされ、神が祈りに答えてくださってICGCが誕生したのです。

 ICGCは伝道のために始めた働きですが、教会は敷居が高くて行く気がしないとか、難しそうとか、クリスチャンじゃないと行けないんじゃないかという人に気軽に来てもらえるためにゆるーくやり始めたんですね。
 だからメンバーの親睦を図るために合宿では明け方まで酒飲みながら語り合ったり、コンサートのあとには居酒屋で打ち上げをやったり。
 さすがに私自身それをメインには考えていなかったので、リーダーが積極的に飲み会をコーディネートしたりはしませんでしたけれども、冒頭に書いたように酒はコミュニケーションツールとして悪くないと思っていたので「酔って乱行の元にならない程度ならOK」というスタンスだったわけです。今思えば世の中の価値観に迎合していたのですが・・・。
 
 そのような活動の中でもリハーサルでは先生によって御言葉が語られ、賛美の中には聖霊が働かれるので、クリスチャンになるメンバーも起こされて、ICGCは祝福されたクワイヤーだと感謝していました。

 2007年の秋、実に不思議な導きで大分に転居したゴスペル伝道者・藤波慎也くんが東京に再び戻ってくる事になり、中央福音教会を拠点にゴスペルミニストリーのサポートをしてくれることになりました。
 ICGCでは主にメッセンジャーとして奉仕してくれることになったんですが、伝道のために聖霊に示されたら直球勝負の招きのメッセージをしたいという彼に対し、ディレクターは「クリスチャンじゃないメンバーが拒否反応を起こすからやめて欲しい」と反論。
 私もせっかくゴスペルが楽しいと思って来てくれているメンバーが、あまりにも激しいメッセージで引いてしまうのでは・・・と思い、リハではもっとソフトにお願いしたいと頼みました。
 それに対し、

「神様がやれとおっしゃったならばそれを抑えることは出来ません。ICGCは神様の祝福を一生懸命押し留めているような気がします。」

 と厳しく彼は喝破
 彼が言うことは実にもっともなことでしたから、私は悔い改めて

「みこころに従ってやって。」

と答えるしかなかったのです。

 そしてその年のクリスマスコンサート。彼にメッセージをしてもらい、ライブも無事終了し、メンバーが設定してくれた打ち上げ会場に行こうと慎也君に声をかけたら、

「僕はアルコールのある場所へは行きません。」

 そうキッパリと断られました。
 確かにクリスチャンだから酒は飲まないという人もいます。でもだからと言ってクリスチャン以外のメンバーと心を割って話せる場をみすみす避ける必要はないではないか・・・ そんな思いと共に、彼の中に通ったぶれない太い芯を感じて、私自身の信仰の姿勢について改めて神に祈らなければという思いが強く湧き上ってきたことを覚えています。
 聖書の「酒」に関する箇所をくまなく読み、色々なクリスチャンの考え方も調べました。そして慎也君とも話し祈りました。最終的にはもちろん祈りから確信として与えられた答え。それは、

「酒をミニストリーから取り除く」

 このことについては当時のブログをぜひお読み下さい。→こちら

 この宣言をした当時は、ICGCの内部でずいぶん軋轢が生じました。それによって去っていったメンバーも多くいました。
 しかし私が酒に対し思っていたことは間違いであり、まやかしであることが御言葉によって、聖霊によって明らかにされたので、それによって自分がぶれることはもうありませんでした。

 飲んでいた時の頃を振り返ってみると、自分は酔っていないつもりでも、周囲の猥談・人への悪口に対し無頓着でした。
 お客さんとの付き合いで温泉旅館のコンパニオンとの二次会、キャバクラへの出入りなど、性的な誘惑がある場所についても無頓着でした。
 ある時など、私に「もっと飲んでくださいよ。俺の酒に付き合ってくれないと許しませんから!」と絡んでくる他労組の委員長に頭にきて、自分がべらぼうに強い事を誇示するためにその人と勝負して徹夜で飲んでつぶしてしまったりもして、「ざまあみろ」なんて思ってもいました。
 もちろん自分では猥談もしない、悪口も言わない、性的不品行もしない。それだけはしっかりしなきゃという最低限のブレーキはあったことはあったのです。でも今にして思えば何と罪深かったことでしょう。これらの行動を神が見て「良し」とされるわけがない。
 これらの行動の根拠はすべて、「酒に酔ってはいけない」という御言葉の自己中な解釈にあったのです。逆に言えば、「酔わずに正気を保ってさえいれば神は大目に見てくださる」という甘えの極致ですね。

 ミニストリーから酒を排除するということは、自分自身の生活からも酒を取り除くということ。
 
 これについても感謝なことに何の苦もなかったんですね。
 対外的な酒席はたくさんあったから、プライベートで酒を飲むことがほとんどなかったんですよ。また酒自体が好きというよりも、食べ物を引き立たすための道具としてとらえていたので、なくても困らなかったのです。
 酒席では、「もういい年だし散々飲んできたからやめた」と言ってウーロン茶でお付き合いしていれば誰も不思議がらないし、興味を持ってくる人がいれば証しをする事が出来るんですね
 それにしらふの状態は霊的な目がクリアに保てるので、猥談や悪口が出るような雰囲気をかもし出さずに済むということがわかりました。
 酒を飲まないことで人間関係がギクシャクしたりすることもなければ、つまみがまずくなる事もまったくありません。

 そして何よりミニストリーの祝福が大いに増しましたね−

 今は慎也君がかつて指摘してくれた「神様の祝福を一生懸命押し留めている」、いわばパイプが水垢やゴミで詰まっている状態から、それが強力なパイプクリーナーで取り除かれた状態に変えられた事を日々感じています。
 ですから毎回のクワイヤーリハ、池ゴス、ゴスペル&メッセージなど、本当に聖霊の働きがリアルに感じられるものとなって、喜びで満たされています

 ところで私がなぜ今このことを書く事にしたのか、ですが、正しい指導者によって聖書を正しく深く読まないと真理はわからないし、正しい指導者がいても自分の心が本当に心から神に向こうとしないと正しいメッセージを受け取れないことが「酒」の件でよくわかったからです。

 何故なら私の知っているクリスチャンの方々の中にも酒に対し無防備な人がたくさんいて、知らず知らずのうちに喜びと祝福を悪魔に奪われてしまっている様子を見聞きするからです。
 今はブログ・mixi・Twitterなどで色々な方の本音を垣間見る事が出来てしまう時代です。それを見ていると、あまりにも気軽に酒に心を開いているクリスチャンが多いのに私は痛みを感じるのです。
 かつての私がそうでしたから。だから

 神はもっとあなたを祝福しようとしておられるんですよー

 ということを自らの体験をシェアすることで気づいていもらいたいのです。

 クリスチャンと酒について、非常に的確に聖書から解き明かしておられる牧師の文章がありますので、お酒が大好きなクリスチャンは嫌がらないでぜひお読みいただければと思います。

「クリスチャンとお酒」  カルバリーチャペル西東京 山東克己牧師

 ひとりでも多くのクリスチャンの目が開かれ、神からの祝福を100%受け取り、それをサタンに奪われないようになったら日本は変わります


良かったらクリックお願いしますにほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 8
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス ナイス ナイス
面白い

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
クリスチャンとして 忘年会への対応と知恵
 昨夜は職場のチームの忘年会でした。どこの組織でもそうかもしれませんが、今週と来週は忘年会の嵐です。積極的に参加したいとは思いませんが、職場のオフィシャルなものやお世話になった人がいたりした場合は顔を出します。  会社の人はみんな私が酒を飲まないことを知っていますが、それでも乾杯の時に必ず ...続きを見る
Tama’s ゴスペラー日記
2011/12/10 13:25

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(18件)

内 容 ニックネーム/日時
ほんっとその通りだと思います。
私も、お酒を辞めてから神様から受ける恵み、祝福を本当に感じることが出来ました。
お酒にとらわれていたときは気づかなかったこの湧き上がる喜び。。お酒でなく、御霊に酔うこの喜び。最高です。
中畑友里
2010/05/29 23:55
>友里さん
「お酒でなく、御霊に酔うこの喜び」
この一言に尽きますね酒の席での盛り上がりと、聖霊の満たし、両方を体験してますが、同じレベルで比較しちゃいけないほど雲泥の差がありますね。
たま
2010/05/30 00:28
私が居る教団はドイツからの宣教団体という国柄か、お酒に関しては多少寛容な処がありますが、だからこそアルコールに関しては個々人の責任と神様との関係が問われると私は思っています。
個人レベルはさておき、ミニストリーにはお酒は厳禁ですもの。
緑茶
2010/05/30 08:40
>緑茶さん
「ミニストリーにお酒は厳禁」
ということに気がついていないケース多いです。かつての私がそうだったように。
ミニストリーに携わるクリスチャンは特に真剣にこの問題に向き合って欲しいです。
たま
2010/05/30 23:24
私はノンクリスチャンで、お酒も飲めますが、何故お酒がダメなのかを最近理解出来ます
お酒を飲むと、後片付けが面倒になるので、日頃は飲まないし、思考が鈍るから飲まなくなり、いつなら大丈夫かな?と考えると、1年に数えるしかないんです…
私も酔わないし、いくらでも飲めるタイプなのでお酒で失敗した事はないんだけど、最近はなくても平気なものになりました(笑)
かおる
2010/05/31 21:49
>かおるさん
なるほど。私は、いくら飲んでも変わらないんならウーロン茶で十分だし経済的で健康にもいいなって思います。
ちなみにかおるさんもゴスペルを歌っていらっしゃるんですか?
たま
2010/06/01 00:20
私自身は体質的にお酒を少ししか飲めず、味も好きではなかったので、感謝なことに酒席での失敗などからは守られてきました(割り勘負けの問題はいつも抱えていましたが)。

この1年くらいの間に、酒害について学ぶ機会ができました。身近な人にアルコール依存の問題が出たためです。
そこから、私も禁酒しようと決めました。

アルコール依存の人が苦しむのは孤独です。たいていの場合家庭が崩壊して家族がいなくなっているからです。お酒を飲んでつるんでいた友達もいなくなります。
だからこそ、お酒がなくても友達ができ、楽しい時間を過ごせる教会の存在は重要だと思います。

新しい視点で、お酒と信仰のことを学ぶことができました。ありがとうございます。
クワイヤの働きがますます祝され、その賛美を主が喜ばれ愛されますようお祈りしています。
みーちゃん
2010/06/01 12:55
たまさん、久しぶりです。2008年、アルコールの問題をたまさんがブログで取り上げたとたんに、さまざまの攻撃的コメントが投稿され、この反応こそ暗闇の霊的な反応としか思えないと感じ、また自分が医療関係者ということもあり純粋に科学的医学的立場からもコメントさせていただきました。医学部では、アルコールは脳に影響を与える薬物(ドラッグ)として取り上げられ、ねずみに投与して実際の薬物反応を実験として学生に見せたりもします。ですから、酒(どんな種類であり、エチルアルコールの含有濃度が違うだけです)は、嗜好品とされていますが、本質的には薬物(ドラッグ)なのです。ただ、人によりアルコール代謝酵素の多寡があって、すぐに分解してあまり酔わない人(強い人)がいるだけで、まったく酔わないわけではありません。たとえかなり酒に強くて一見品行方正を維持しているように見えるクリスチャンであっても、少しは酔っているのです。仮に、人間的にまったく素面のようであっても、その人は、酒を飲んですぐ、心からJESUSに祈りを捧げることができるでしょうか?ただ、アルコールは、殺菌作用があって、保存料としても使われるので、聖書の時代、水が悪い不衛生な地域では、アルコール濃度の低いブドウ液(今のように醸造技術が進歩し酔うためにアルコール濃度が高くなった酒とちがい)が安全なものとして使われたり、食欲がでる作用もあるので利用されたという解釈もあるようです。
草加のシュン
2010/06/01 13:13
>みーちゃん
毎日飲まずにはいられない人、かなり多いですよね。それは確かに依存症の入口かもしれません。クリスチャンでも夕方になると「ビール飲みてー」みたいなことつぶやいてる人多いですもん。
日本の文化が飲酒を良いこととして育んできていることにサタンの策略がありますね。私は、常に主の御心を求め世の中の尺度に従ってはいけないことを学びました。
お祈りとお証し心から感謝します
たま
2010/06/01 14:16
>シュンさん
ご無沙汰してます。お元気そうで何よりです
またまた医学的見地から素晴らしいコメント、心から感謝します。「アルコールはドラッグ」という言葉は重いですね。
ちなみに旧約聖書の原語であるヘブル語では、ぶどう酒に当たる単語は実は「ぶどう液」のことだそうです。ということはノンアルコールのジュースのことも発酵したアルコール入りの物も同じ単語ということです。
だから、「酔う」ということと一緒に書かれていない箇所はほぼすべてぶどうジュースだったと考えるのが正しいそうです。「酔う」ことについて聖書はどの箇所でも戒めていますから、パウロがテモテに指示した、胃を守るための少量のぶどう酒のように医学的用途以外のアルコール摂取は控えた方が良いと言えますね。
それぞれの立場で証ししていきましょう!
たま
2010/06/01 14:27
覚えていますか?
鶴岡キリスト教会の者です。
酒の好きなクリスチャン…につられてお邪魔しました。ハレルヤ!です。
コメントの中にアルコールはドラッグに位置づけられているとあり、わたしもその通りだと思っています。
実際に酒の中毒で家庭崩壊を招き、自身も廃人のようになった人をまじかに見てます。数年前この鶴岡でも酒を飲んで暴れる夫を妻が思い余って殺してしまった事件も起きています。
酒はすごい魔力を持っていることを知るべきです。
私は、両親が酒好きでとても嫌でした、クリスチャンになって真剣に酒との関係を考え断酒して34年です。
「酒をミニストリーから取り除く。」tamaさんの決意にハレルヤ!!
sutou
2010/06/10 21:56
>sutouさん
ご無沙汰してます。またコメントも感謝します!息子さんはお元気でしょうか?
さて、庄内といえば酒どころですよね。だからその裏側には悲惨な状況がたくさん隠れているんですね。教会の役割は大きいと思います。sutouさんもぜひご自身の体験を証してください。
たま
2010/06/11 00:02
こんにちは。夫と酒問題で喧嘩になりました。どうにか解決法を求めて祈るとこのブログが出ました。すごい!神さまによって、またこのブログによって励まされました。私はクリスチャン夫婦です。夫は、よくデボーションをし、奉仕をし、私にもとても親切。申し分ないクリスチャンです。でも、酒を飲むので、いつもふしぎでした。酔ってないし、聖書のどこにも罪とかいてない。イエス様だって飲んでる!そんな彼の考えにとても不可解でしたが、神さまがいつか彼に触れてくれると励まされました。クリスチャンは酒を飲まないでいてほしい。そんなシンプルな祈りをしています。神さまが喜ぶことは、酒を飲むことじゃないと確信があるからです。なんか、とても平安が与えられました。ありがとうございます。
Mamie
2011/05/03 17:42
>Mamieさん
少しでもお役にたてたようで嬉しいです。
ご主人はかつての私とほぼ同じですね。
クリスチャンだから飲んじゃいけない…という論点ではなく、霊的アンテナをクリアにすると受け取る祝福と喜びが大きくなる…ということをお伝えいただけたらと思います。
ご主人の解放をお祈りします。
たま
2011/05/04 01:00
たまさん。

元ICGCのまるおすえおです。
ご無沙汰しております。
今、豊橋ブレッシングクワイアというクワイアに入って月に2回練習しています。

ブログを拝見しました。

「クリスチャンとお酒」  カルバリーチャペル西東京 山東克己牧師 のリンクをクリックしたところ、Not Exitedと表示され、読めませんでした。リンク切れでしょうk?リンク先が削除されてしまったのでしょうか?
調査をお願いします。

God bless you。


「クリスチャンとお酒」  カルバリーチャペル西東京 山東克己牧師

2012/02/16 11:05
>まるおくん
おそらくずいぶん時間がたっているので削除されたのでしょう。
基本的な主旨は私と同様の記事でした。
たま
2012/02/16 12:42
はじめまして、ほっと茶と申します。お酒、クリスチャンで検索し辿り着きました。酒の面で中途半端な想いがあったクリスチャンです。
霊的な目がクリアに保てる。
心にガツンと来ました。
素晴らしい証、有難うございます。お酒はやめていたのですが、さらに確信を持つことが出来ました。御霊に満たされようとすることに一切益にならない。そう考えれれるようになりました。
失礼ながら、文章を私的利用で「ブログ等で」引用させてもらってもよろしいでしょうか?
ほっと茶
2013/11/12 21:23
>ほっと茶さま
お役に立てたようで感謝です。
駄文でよろしければどうぞお使いください。
神の祝福と聖霊の豊かな取り扱いをお祈りいたします。
たま
2013/11/13 01:00

コメントする help

ニックネーム
本 文
酒が好きなクリスチャンへ Tama’s ゴスペラー日記/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる