Tama’s ゴスペラー日記

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zoom RSS リアル・ハチ公と父親

<<   作成日時 : 2010/01/14 02:13   >>

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 忠犬ハチ公の話はあまりにも有名ですね。
 
1924年に生まれて東京帝国大学農学部の教授、上野英三郎に飼われることになった。上野の存命中は、玄関先や門の前で上野を見送り、時には最寄駅の渋谷駅まで送り迎えすることもあった。上野の自宅は、現在の東急百貨店本店(旧大向小学校)周辺といわれている。

1925年(大正14年)5月21日に上野が急死した後も、毎日渋谷駅前で主人の帰りを待ち続けたといわれ、東京朝日新聞の記事により世間一般に知れ渡った。主人を慕うハチの一途な姿は人々に感銘を与え、「忠犬」と呼ばれるようになった。幾度となく、野犬狩りの危機にも陥ったが、近隣住民の配慮で免れた。

1935年(昭和10年)3月8日、渋谷川に架かる稲荷橋付近の路地で死亡。(Wikipediaより)

 今も銅像となって渋谷駅頭に立ち続けるハチ公をリアルに見ていた人が私の身近にいた

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 10日の礼拝メッセージで何と佐布先生がご自身の子供の頃から信仰者となるまでの心の軌跡を語られました。
 「礼拝では聖書のみを語るべき」という先生が自らのことを証しされることは滅多になく、驚きと共にそのお話に感動を禁じえなかったのですが、毎日渋谷駅に来ていたハチ公に会っていたとおっしゃるのです
リアル・ハチ公を知っている人とは我が教会の牧師・佐布正義先生その人だったのです。

 当時渋谷駅の前に焼き鳥屋があって、先生はお父さんに言われて焼き鳥をテイクアウトし、食べた残りをハチ公にやっていたそうです。

 生きた本物のハチ公を知っている人なんてそうお目にかかれないでしょ 
 リアルなハチ公物語を聞きたい人はぜひ中央福音教会においでください

 
 でも感動の中心はハチ公の話ではありません。

 先生の幼き記憶の中には、この渋谷の駅までお母さんと一緒に出征するお父さんを見送りに出かけたことが苦い思い出として刻まれているようです。
 ある日自転車が欲しくてお父さんにおねだりしたら「100点を10回取ったら買ってやる」と言われ、必死に勉強したそうです。テストは月に1回くらいしかないので、1年かかって100点を10回本当に取ったというからすごい。
 そして期待に胸を膨らませてお父さんに見せに行ったら、逆に「これを見ろ」と赤紙(召集令状)を見せられた・・・。

 自転車を買ってもらえなかったこと。生きて帰ってこないかもしれない父親。切ない思い出ですね。

 幸いなことに数年後お父さんは生きて帰ってこられましたが、ある日成長した先生が遊びでお父さんと相撲を取ったそうです。兵役に甲種合格した屈強なお父さんに勝てるわけがないと挑んだら、簡単に投げ飛ばしてしまった
 それ以来、絶対的な存在だった父親が小さく見えるようになってしまいました。

 さらに時が過ぎ先生は成長し、お父さんの反対を押し切って戦闘機のパイロットになるための学校に入学。しかし戦況は悪化し、神風特攻隊が組織されて先生の先輩たちは次々と出撃して行くのでした。
 二十歳になるかならないかの青年たちが、片道分の燃料だけ積んで「お国のために!」と言って飛んでいくのを見送る日々。その健康な人たちが何時間かあとには海の藻屑となって死んでしまうのです。

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 そんな中、突然戦争が終わりました。

 九州で終戦を迎えた先生は、破壊された鉄道を乗り継ぎ、そして歩き、原爆投下直後の広島も通って焼野が原の東京に戻ってきました。
 人は何のために生きるのか、人生とは何なのか、空虚な気持で家が建っていた場所に立ち尽くしたと言います。
 そんな時にアメリカの宣教師から福音を初めて聞きました。

 かつては絶対的存在だった肉親である父親はいつか死んでしまう。相撲で投げ飛ばしてしまったように老い衰えていきます。

 しかし天地万物を創造され、自分をも創ってくださった天の父がおられる。
 
 すぐに主なる神を信じ受け入れ、英語が得意だった先生は宣教師の通訳をやりながら伝道者になるべく献身の意を固め、両親の大反対を押し切り中央聖書学校に入学。
 伝道者になってからも聖書を学びたいという気持が日増しに大きくなり、当時は海外渡航の自由がなかったにもかかわらずアメリカのフラー神学校に留学することになったのです。
 そこまでに至るには今と違って相当な努力が必要だったのだと思います。

 フラーで学んでいる最中、先生の下に非常に短い電報が届けられました。

チチシス

 「父死す」

 しばらくしてようやくその意味がわかってきたと言います。太平洋を隔てた遠い日本の地でお父さんが亡くなられたという事実が、無機質なたった4文字で知らされた瞬間でした。
 まだ50代での死。
 飛んで帰りたかった。しかし昭和30年代半ば、カリフォルニアから飛行機で帰るにはあまりにも旅費も高く、それはかないませんでした。

 皮肉を込めてご本人がおっしゃるには「私は今、後期高齢者」。

 「年齢ではとっくに父親を乗り越えてしまった。」とも。

 しかし人間は必ず死にます。それは最大の矛盾。
 何故なら本来人間は霊的な存在として神の似姿に造られ、神とコミュニケーションを取れる唯一の存在。神の御心に従っていれば死ぬことはありませんでした。
 でも最初の女・エバが蛇にそそのかされて、決して食べてはならないと神が命じられた「善悪を知る木の実」を夫アダムにも勧めて食べてから「罪」が人間に入り込みました。
 神はその代価として「死」を人間に与えざるをえませんでした。

 人間にとっての最大の矛盾である「死」に勝利する方法はないのか?

 佐布先生はその方法を聖書の中に見出しました。
 
 私たちが支払うべき罪の代価・死を、神の御子イエス・キリストが十字架刑という最も残酷な刑罰によって身代わりとして払ってくださったのです
 そしてイエス・キリストを仲立ちとして、神を「私たちの父」と呼ぶことが出来るようになりました。
 
  わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
 わたしたちの主イエス・キリストの父なる神は崇められるべきお方です。神は天においてわたしたちをあらゆる祝福をもってキリストにあって祝福し、世界の基がすえられる前に、御前に聖なる傷のないもとなるように、わたしたちを選び出されました。   
    
(エペソ人への手紙1:2〜4) 佐布先生私約

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