Tama’s ゴスペラー日記

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zoom RSS 死に向かって

<<   作成日時 : 2009/12/03 01:08   >>

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 常識的な会社に努めていれば1年に一度健康診断があります。これは大きな恵みですね。12月1日、私も受けてきました。
 親会社が運営する診療所で受診するのですが、年々診断項目の精度が上がって来ていて驚かされます。
 昨年からは特に腹部と頸部の超音波診断が詳細に行われ、今年は特にじっくりと20分ぐらい診てくれました。

 お腹の上をローラーみたいなセンサーをコロコロ転がすので、わき腹に来るとくすぐったくて笑いをこらえるのが大変

 それはともかく、その結果は胆のうに6ミリ強のポリープと、両方の腎臓にのう胞があると・・・

 胆のうのポリープは去年もあると言われたので別に驚かなかったんですが、腎臓ののう胞なんて初めて言われたので一瞬ドキッとして、問診でドクターに聞いてみました。

「どうすればいいんですか?」

「年を取ってくるとよく出来るんだよ。だから放っておいていい。」

「えっ?大丈夫なんですか

「うん。放置。」

 じゃあ去年もあるって指摘された胆のうポリープについても聞いてみました。

「別に平気。放置。」

 このドクター「放置」って言葉が好きなんだな、きっと。でもあまりにもあっさり言うんで、私も単純に納得してしまうから我ながらいい加減だなぁ。

 一応腎臓のう胞も、胆のうポリープもインターネットで調べてみると確かに積極的に治療するような病変である可能性は少ないらしいです。

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 要するに加齢と食生活の欧米化によって起こるんだってことらしいです。

 それはそうと、実は最も衝撃を受けたのは違う場所。それは視力。
 
 生まれてこの方1.5から下がったことはなかったのに、今回は「右0.7左0.8 両目で1.2」
 確かに最近、このサイズの聖書の文字が読みにくい・・・

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 中学1年から愛用している聖書で、ラインや書き込みがたくさんしてある大事な聖書ですが、この春くらいから2まわりほど大きな聖書をメインで使うようになってしまいました。
 確かに仕事でもプライベートでもパソコンに向き合う時間が長いし、睡眠も短い。言いたくない、書きたくない言葉ですが「老眼」って単語が目の前に突きつけられてしまいました

 あと血圧は生まれつき高く、人よりも血管年齢は確実に進行しているはずだし、確実に我が肉体は死に向かっているんだということですね。
 なんかすごく客観的に理解出来ちゃいましたよ

 健康が守られているうちは、自分が死ぬなんてこと全然考えません。
 でも人間の死亡率って何パーセントか知ってます?

 そう、100パーセント です。

 聖書は明快に言っています。
そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることが、人間に定まっている (ヘブル人への手紙9:27)

 しかし、多くの人は自分が死ぬことと同時に、死んだ後どうなるのか、ということについて真剣に考えようとしません。それになるべく触れないように、見ないようにして、自己実現に向けて努力することで心の充足を得ようとするのです。

 目標を立て、それに向けて自分を高めていく生き方。

 それは素晴らしい生き方だと思います。が、目標を実現した後どうするのでしょうか。また次の目標を立て再び努力を開始したとしても死の問題に解決策は見いだせません。
 イエス・キリストは言いました。
 よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。 (ヨハネによる福音書5:24)

 わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。 (ヨハネによる福音書10:28)

 努力を重ねた人生の先に、このように明確な希望があることを知らなければ、意味がないと私は思うのです。

 そう断言すると反発を覚える方がたくさんおられることでしょう。しかしイエス・キリストがこの世に人となられてこられた目的は、
それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。 (ヘブル人への手紙2:14〜15)

 とある通りなのです。このことを子供のように純粋に信じることを「信仰」と言います。

 私の肉体は順調に(?)死へと向かっています。
 それはあなたにも言えることですよ。

 しかし私にとっての死は、勝利への通り道にすぎないのです。

 まぁ、偉そうにそんなことを書いていても、 「死」という未体験の出来事を迎える意味での恐れの気持はありますよ。正直。
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。 (ヘブル人への手紙11:1)

 でもこの聖書の言葉を私は携えます

 死の準備。他人事じゃありませんよ。
 この世での時間は有限です。


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